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日興上人の身延離山について

3ROCK:2003/11/29(土) 02:09
>>2の続き]

また、正信会は正月十三日付「六郎入道殿御返事」について、

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この書状は日興上人が身延を離山されて五年後くらいのものと考えることができる。つ
まり、離山後も日興上人と波木井実長とのあいだには音信が続いていたことが推測で
きるし、こうした同上人の身延離山後の実長に対するご教導と思われる書状からも、上
人は実長をなんとか正道にもどしたいとのお心を抱かれていたと察することができる。

(『日興上人』p112、継命新聞社、1991年)
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と述べ、「上人は実長をなんとか正道にもどしたいとのお心を抱かれていた」としているが、
十二月二十八日付「六郎入道殿御返事」の存在によって、この正信会の説はそのまま通
用せぬであろう。
これらのことから考えられるケースとしては、①日円師に謗法はなかった②日円師に謗法
はあったが後に改められた―という2つに分類されよう。
日円師に謗法がなかったのであれば日興師が身延山を離山することはなかったと考えが
ちであるが、「與波木井実長書」(正本:富士大石寺、但し堀師は疑義を呈している)には、

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総じて久遠寺の院主学頭は未来までも御計い候べし

(「與波木井実長書」『日蓮宗宗学全書』2巻、p169、1983年)
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とあり、日興師が日円師に対して「身延山の総貫首を明確にせよ」と述べたので、日円師
は日興師よりも日向師を選んだのであって、これによって日向師が身延の総貫首となられ
たので、日興師の身延における使命は一応、果たされたので日興師は元来の教線に戻ら
れただけである。と考えるのが妥当であろう。


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