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御遺文関係は此方で

99空き缶:2004/05/08(土) 13:35

 實成寺に確認しました。

 日尊師は生涯、曼荼羅御本尊は書かれなかったそうです。したがいまして、実録の記述どおりのようです。
 「日蓮宗の本山めぐり」の記述は正しくないようです。
 聴講見聞録につきましても、現在は實成寺には無く「西のほうのお寺」にあると伝わっているそうです。
 「西のほうのお寺」がどこの寺院かは不明です。

100直人:2004/05/08(土) 19:50
空き缶さん

 わざわざありがとうございます。それにしても「>「日蓮宗の本山めぐり」の記述は
正しくない」とのこと、本山会は何をもとにこう書いたんでしょう。もう少し忠実に調
べて欲しかったと思います。

101慎之輔:2004/05/10(月) 06:43
もうじき12日は伊豆法難会ですね。
ところで、船守弥三郎許御書に出てくる地頭の伊東氏と弁度御消息に出てくる
伊東八郎左衛門とは同一人物でしょうか?日蓮宗事典には同一と見る考えと
伊東八郎左衛門祐光と朝高と別の人物と考えるものと2説あるようですが、
吾妻鏡など見ますと同名の八郎左衛門が祐光、祐兼、朝高と3名いるようです
弁殿御消息に出てくる伊東八郎左衛門は信濃守なので祐光で間違いないと
思います。しかし、どうも同一人物というのは無理があるような気がします。

102管理者:2004/05/10(月) 13:42
慎之輔さん、今日は。
>伊東の八郎左衛門
について以下、大川善男先生の未定稿論文に

 その信濃守朝高のことにしても『御書略注』では「工藤祐経─印東大和守祐時─伊東信濃守朝高」と説いているが、真実は「工藤祐経─伊東大和守祐時─工藤信濃守祐光─工藤八郎四郎朝高」である。そして、吾妻鏡の康久元年(建長八年)正月四日・九日・十三日条に、平左右衛門尉頼綱等と的始めの射手として工藤八郎四郎朝高の名が見える。
  《11》
 いわゆる、建治二年の『弁殿御消息』に「伊東の八郎左衛門、今は信濃守……」というのは、工藤祐光のことなのであるが、それを伊東八郎左衛門朝高といっているのは『注画讃』以降の所伝なのである。

103慎之輔:2004/05/10(月) 18:57
管理人さんおひさしぶり(^○^)
信濃守が八郎左衛門祐光というのは吾妻鏡や伊東家系図、仁科?系図からも
間違いないようです。実は吾妻鏡のサイトや工藤、伊東家関連のサイトで
調べました。原図は見ていませんが、あだ討ちで有名な曽我兄弟も縁者なのですね。
工藤祐経の兄弟が祐親でその子が、祐通、祐泰(曽我兄弟の父)祐清の兄弟
祐清の子が祐光(信濃守)その子が祐兼、または朝高で、僕の見た資料では
朝高では無くて祐兼が登場していました。工藤祐経は源頼朝についていたので
北条泰時や政子が政権をとった後では工藤祐経の家系が身内人となり信濃の守
になることは不可能であろうと思いますがどうでしょう?
祐経は1198年に名前が上がっており、この時17歳であれば1261年の
時には78歳、ましてや弁殿御消息の時点では年をとりすぎているような気も
しないではありませんが、どうも今ひとつわかりません。
でも、もし伊東八郎左衛門が船守と弁殿の同一人物であるならば、立像仏を
御聖人はなぜ生涯大切にされたのでしょうか?
私には弁殿御消息の伊東八郎左衛門と船守弥三郎許御書の地頭の伊東は別人だと
思うのですが?
(なんか脈絡がなくてすいません<(_ _)>)

また、伊東家はもともと工藤氏で曽我兄弟のあだ討ちは親族の不動産をめぐる
争いが発端ですね。歴史研究家の中には曽我兄弟のバックに北条氏がいると
考えていられる方も多いようです。余談

104慎之輔:2004/05/10(月) 19:05
訂正
>祐経は1198年に名前が上がっており、この時17歳であれば1261年の
祐光ですね。
ようは富士の裾野で打たれた工藤祐経の直系が伊東の地頭にはなりえないと
思います。地頭の伊東氏がご聖人を庇護できたのも北条氏の身内人であった
からだと思います。

105管理者:2004/05/11(火) 10:26
皆さん、お早う御座います。

慎之輔さん、お早う御座います。
追記
>伊東の八郎左衛門
に就いて、山川智應先生の「日蓮聖人伝十講」に伊東八郎左衛門祐光と発表されてます。聯盟も「伝十講」の説を取り入れてます。
大川先生の説を紹介したのは、古文書学の専門家の説ではどの様なお考えかを書いたまで、で

 大川先生>>102 の前の方の頁に

【玉沢手鑑】では「日昭師が藤原北家・摂家流の近衛家猶子だから」。
【御書略註】では「日昭師の父印東二郎左衛門尉祐昭が大職冠藤原鎌足の末裔だから」。
ということである。確かにイトウ(伊東)氏の先祖は鎌足で、藤原南家・工藤支流である。だが、印東氏は平姓であって藤原姓ではない。しかし、既説においては「印東」を「イトウ」と読ませて虚妄を働かせている。そうしたことは、下総国印旛郡内の埴生庄や印東庄、或いは葛飾群の平賀郷の領知関係を追求すれば解明できるのである。そのことは、総州における金沢北条氏の領知関係と、千葉氏族と金沢北条氏との血縁関係を追求すれば解ることである。
 いわゆる、昭師の伝説に係る諸説は、全て創作であって史実ではない。

-----------------------------------------
で、「イトウ(伊東)氏の先祖は鎌足で、藤原南家・工藤支流」等、ご参考まで。

六老僧・門下等の一代記等、門派・門流の脚色された物を、改めて研究の余地が有るのではないでしょうか。

106川蝉:2004/05/11(火) 14:27
宗祖の祈願で病悩が癒えたのは伊東朝高と、漠然とインプットしていました。朝高でなく祐光だったんですね。

103 慎之輔さんが
>もし伊東八郎左衛門が船守と弁殿の同一人物であるならば、立像
>仏を御聖人はなぜ生涯大切にされたのでしょうか?

と云われていますが、感情的には、伊東八郎左衛門が、宗祖の教化を受け、生涯妙法の信仰を続けた人で有って欲しかったですね。
後で妙法に背いた伊東八郎左衛門から、貰った釈尊像では何だか有り難みが、その分だけ減るような・・。

鎌倉龍口寺の新倉貫主さん著「日蓮聖人伝百話」を見ましたら、
海中出現の釈尊像に言及している「船守弥三郎許御書」は、真蹟不伝で、「文体的にも、内容的にも、疑問点が多い」(126頁)
とし、さらに
「冨士門流所に伝わる『五人所破抄』に、「日蓮聖人所持の釈尊像は弘長配流(伊豆流罪)の昔、これを刻み、弘安帰寂の日も随身せり。と記している(取意)」と言及しています。

新倉貫主さんが「五人所破抄」は、室町初期の建武年間(1334〜8)頃に成立していたと考えられるとしています。
祖滅50年ごろには海中出現の伝承がなかったことになりますね。
海中出現を記す「船守弥三郎許御書」は「御遺文辞典歴史編」に依ると、「祖滅300年ごろの本満寺御書に初めて名称が出てくる御書で、身延期の御書を下地にしたものでないか」と、解説しています。
とすると、本当は海中出現の像でなく日蓮聖人が自ら刻まれた釈尊像であったという可能性が大ということになりますね。

むかしに読んだ物語風な祖伝は鵜呑みにできないなと云う感じです。

107慎之輔:2004/05/11(火) 19:23
川蝉さん、管理人さん御教授ありがとうございます。
海中出現の仏像を大事にされたのがどうも気にかかっておりました。
不受不施の考えからいっても退転された人からもらった仏像では、
おかしいと思っておりました。しかし、伊東氏が後に退転した人で
あったとしても、ご聖人を庇護された一時は心に仏界があったとい
っても良いのではと思います。例え史実がどのようなものであれ
未必の殺意をもって伊豆に流されたご聖人が助からなかったら、
今、私たちは教えにめぐり合うことはなかったわけですから、船守
弥三郎や地頭の行為に感謝いたしたいと思います。

108初心者:2012/04/09(月) 01:25:33
あわわ・・・、書き込むスレを間違えてしまいました。
慌てて真言宗関係のスレに投稿してしまいました。なにとぞご容赦を。

改めまして御遺文関係のスレッドで質問させていただきます。

日蓮宗寺院の檀家で、日々読経唱題をさせていただいている一般信徒です。

日蓮聖人の御遺文『上野尼御前御返事』を、お勤めの際に読み上げる御妙判に加えたいと思うのですが、
漢字の読み方がわからない箇所があるので、ご教示いただければと思います。その箇所は、

「或いは前花後果と申して花は前に果は後なり。或いは前果後花と申して果は前に花は後なり。
或いは一花多果、或いは多花一果、或いは無花有果と品々に候えども蓮華と申す花は果と花と同時なり」

の部分です。意味についてはもちろん分かるのですが、勤行の際に唱えるものなので、
読み上げ方に間違いがあってはならないと思い、法明教会様の掲示板でこの部分の読み方をお尋ねいたします。

どうぞよろしくお願い致します。

109管理者:2012/04/09(月) 12:59:22
初心者さんへ
初めまして、管理人の上田です。
読み方の部分がどこなのか、お書きになってないので全部をルビーふります。

上野尼御前御返事 弘安四年十一月十五日

「或(ある)いは前花後果(ぜんけごか)と申(もう)して花は前(さき)に果(み)は後(のち)なり。或いは前果後花(ぜんかごけ)と申して果(み)は前(さき)に花(はな)は後(のち)なり。
或いは一花多果(いっけたか)、或いは多花一果(たけいっか)、或いは無花有果(むけうか)と種々(しゅじゅ)に候(そうら)へども蓮華と申す花は果(み)と花と同時(どうじ)なり」
です。同じ単語はルビーを省略しました。

所で、もう直ぐ電子書籍版の御遺文が完成します。
そのソフト並びに御遺文の正誤・脱字等のスレッドを別に設けます。
お知恵をお貸し下さい。

また気楽にお越し下さい。

110108:2012/04/10(火) 21:27:29
>>109
管理者様、

初心者です。
早速のご回答、誠に有り難うございます。

「上野尼御前御返事」については、是非読み上げたい御遺文だったので、
おかげさまで、これで安心して勤行の際にお唱えすることが出来ます。
本当に有り難うございます。

>所で、もう直ぐ電子書籍版の御遺文が完成します。
>そのソフト並びに御遺文の正誤・脱字等のスレッドを別に設けます。
>お知恵をお貸し下さい。

非常に楽しみな話です。
浅学非才の私ではありますが、是非お手伝いさせていただきたいと思います。
今後ともよろしくお願い致します。

有り難うございました。

111日蓮信者:2012/08/18(土) 16:59:24
ヤフーオークションで日蓮と検索すると書籍、仏像と並んで曼荼羅が多く出品されています。多くは江戸時代や明治以降の先師の曼荼羅、或は木版が多いのですが、希に、題目の下に「日蓮」の署名、花押入りの物が出品されています。
多くは、立正安国会のご本尊目録の123幅と比べて明らかにまがい物と思われるものが多いのですが、希に123幅と別の日だけれども書体はそっくりの物が出る場合が有ります。それらの多くとは別に、6月から1億円の価格で出品されているものが有り
落札が無いため延長されています。
現在は明日、終了 http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/162992847
立正安国会 24番本尊 静岡 妙立寺所蔵の本尊と全くウリ二つです。

考えられるのは、本物が売りに出された(考えにくいですが…。)
本物が盗まれた。
古い時期に本物を横に模写が行われたものが有った などですが。

イロイロ考えている内にあちこちで話題、問題となり24番所蔵の妙立寺の貫主は
オークション出品も盗難も否定しているようです。

http://bukkyoshugakukenkyukai.doorblog.jp/archives/10282984.html
http://bukkyoshugakukenkyukai.doorblog.jp/archives/2012-07.html?p=3#20120704

112管理者:2012/08/19(日) 08:13:23
>>111
日蓮信者さん、情報ありがとうございます。
日蓮聖人の偽御真筆は江戸時代に盛んに造られたようです。
今回のヤフーオークションの写真は、真偽未決でしょうが本物と瓜二つ。
もし本物だとしたら大問題です。今後の調査に期待します。

113日蓮信者:2012/08/20(月) 22:18:35
管理人様、有難うございます。

偽御真筆が江戸時代に盛んだったのは、知りませんでした。

一部の本尊(通称、万年救護の本尊)のように版木が造られて
木版画が出回ったような物を除くと日蓮署名、花押のある曼荼羅も
立正安国会の123幅の写真でその相貌を伺い知ることの出来る現代では、
すぐに贋作で有ることが判るくらい似ていないものが多いように
思います。
ただ年中、ヤフオクを見ていると、稀に「むむ、これはっ…」と思う
特徴の似ているものが有ります。
これらの何幅かは真筆か現在は真筆自体が失われた、かって存在した
真筆を横に置いて模写したものでは在るまいかと思わせられるものが
存在します。
これらは中尾先生の云うように文字ではなく紙で判断するのが正しい
鑑定であるのかも知れません。

尚、ヤフオクに出てくる諸先師の曼荼羅の体裁はいろいろパターンが
違っているので、日蓮聖人の曼荼羅の体裁は今の私たちのように写真で
見ることの出来なかった時代では数々のパターンが存在しています。

そういった時代の曼荼羅はおそらく身近な師僧の曼荼羅を真似ていただけの
ように思われます。
中央の題目の下に直接、自身の署名、花押を記したもの有り
題目の下に日蓮 在御判と記し脇に自身の署名、花押のもの有り
題目の下に日蓮大菩薩と記し脇に自身の署名、花押のもの有り
題目の下に自身の門流の先師名、自身の諸名、花王のもの 等々
本当に種類が豊富ですが、いろいろ見ていると各門流毎の相伝のようなものが
存在したのかも知れません。

脇の授与書きも、様々ですが、田舎の旧家などご先祖が寺院に田畑を寄進した
篤信のご信者の子孫が、ヤフオクで1千円スタートで出品されているのも
なにか、やるせないような気になってしまいます。

オークションに出品する人を見ている人も様々なので、時には高額になり
1千円で終わってしまう場合が有りますが、時に本法寺 日親上人のものと
思われるものなど出ていて不謹慎ながら面白いです。

114常修院二番弟子:2014/09/13(土) 12:40:27
本門戒壇の大御本尊に対し、間違いな解釈が横行してます。
下のサイトで勉強が必要です。
エイチティティピー://zyoushuin2.web.fc2.com

115日査:2016/11/27(日) 02:46:25
「はちす文庫」
『石山(せきざん)本尊の研究』京都要法寺僧侶 柳澤宏道編著
file:///C:/Users/ISMS/Downloads/石山本尊の研究-01.pdf
特に、三十三〜三十四ページを読んで下さい。

を、ご参考に。


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