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御遺文関係は此方で

84直人:2004/04/08(木) 00:05
「興門百圍論」にみる「百六箇抄」附文について

日住師は血脈論を論ずるとき、両巻血脈抄を依文としている。一例を挙げれば
次の如くである。

  此書は蓮祖自ら筆、興師は相承し玉へり興師是を目師と尊師とに伝え玉へ
  り、尊師へ付属は正和元壬子十月十三日興師御年六十七歳の時也。今現に
  當山には尊師の自筆也。(研教20巻P476)

ここで云う「尊師へ付属」とは「百六箇抄」附文−すなわち、「日興日尊に之
を示す」(宗全2巻P31)をさすものであろう。しかしながら、疑点がないわけ
ではない、それは「百六箇抄」附文では、

  日興先かくれは無辺行菩薩歟、日朗後ひかうれは安立行菩薩歟、日蓮大将
  なれは上行菩薩歟、日目毎度幡さしなれは浄行菩薩歟。(宗全2巻PP29)

となっているのに対して、「興門百圍論」には、

  當山相承には日蓮上行菩薩、日興無辺行菩薩、日目浄行菩薩、日尊安立
  行菩薩と相承するなりこれは客殿の儀式中央の曼荼羅と本有の五大を表す、
  これ則別体の地涌の義也。御堂には一人此四具総体の地涌の義なり。宝蔵
  は総別不二也。もとより互具融即せり(研教20巻P165)

として、《日朗師=安立行菩薩》とあるべき文が《日尊師=安立行菩薩》となって
いる。「百六箇抄」はその内容からして尊門の偽作であることは明らかである。け
れども、真実、そうであるならばなぜ《日朗師=安立行菩薩》と記されているので
あろうか。尊門思想から云えば「興門百圍論」の方が相応しいように思うのは私だ
けであろうか。


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