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御遺文関係は此方で
52
:
愚鈍凡夫
:2004/01/21(水) 04:52
皆さん、お早うございます。
「立正安国論」について。
幕府上呈本(原本)は伝わっていないのですが、蓮祖は「立正安国論」を複数書写しています。
現在、曾存を含めて蓮祖の筆による写本3本が確認されているそうです。
①身延久遠寺曾存
全20紙。文応元(1260)年7月16日と記されていたと伝えられている。明治8(1875)年の大火によって焼失。
②中山法華経寺所蔵(国宝)
全36紙(第24紙欠)。文永6(1269)年12月8日の記年がある。
③京都府本圀寺所蔵
全24紙。無記年(推定、建治弘安の交)。
また、真蹟断片14紙が10箇所に散在し、現存する2本以外にも書写された「立正安国論」が存在すると考えられています。日興写本によれば、中山法華経寺所蔵本には題号の下に「天台沙門日蓮勘之」との記述があったとされ、本圀寺本には「沙門日蓮勘」の記述が残っているそうです。
蓮祖は12年間、比叡山で修行されていたわけですから、「天台沙門日蓮」との名乗りが不自然とは思えません。
「立正安国論」を幕府に上呈する際、僧籍を持たない私度僧として上呈したのでは門前払いを喰うだけでしょう。天台宗の僧として修行していたことは事実なわけですから「天台沙門日蓮」と名乗って上呈するのは当然だと思います。むしろ、名乗りの変遷に注目すべきではないでしょうか。
「立正安国論」以降の名乗りの変遷として、「法華宗内証仏法血脈」(写本)では「法華宗比丘日蓮」と記され、「観心本尊抄」(真蹟)では「本朝沙門日蓮」と記されています。また、「撰時抄」(真蹟)では「釈子日蓮」とされています。
石山教学圏では五一相対の立場から「天台沙門日蓮」との名乗りを認めませんが、名乗っていた時期があったと考えるほうが自然だし、また、そのことが何ら蓮祖の功績に傷を付けるものでもないと思います。
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