したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

本門の戒壇について

36ROCK:2003/11/18(火) 23:33
空き缶さん、こんばんは。

>富士門のことに詳しいですね。しかも、ご指摘が鋭いです。

いえいえ、まだまだ未熟です。
大石寺門流の基礎知識は少々(本当に少々ですが)あっても、こと
興門他山のことになると悩むところがあります。

>「板本尊」の事が気になるところです。

私の着眼点はちょっと違います。
私はむしろ「日主上人御判有之」との文に注目しています。なぜなら、
日主師は「日興跡條條事示書」において「大聖より本門戒壇御本尊」
(歴全1−P459)と記しています。
つまり、「本門戒壇大御本尊」(厳密には「本門戒壇御本尊」ですが)と
いう呼称の初見は日主師の「日興跡條條事示書」においてはじめて見
出せる訳です。
そして、今までの流れを纏めると、

○「法華講衆」の初見=宗祖滅後123年、日時師書写本尊
○「仏滅後2220余年」の初見=宗祖滅後203年、「穆作抄」
○「本門戒壇御本尊」の初見=宗祖滅後290年代、「日興跡條條事示書」

となりますから、日時師以降の大石寺僧によって板曼荼羅が造立され、
それが日鎮師の時代に表面化し、日主師によって板曼荼羅は「本門戒壇
大御本尊」へと祀り上げられたのではないかと推考しています。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板