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本門の戒壇について
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:
管理者
:2003/11/07(金) 16:44
空き缶さんへ、
長いですが何かの参考まで、日蓮聖人の実現の宗教148頁に
「日什御奏聞記録」(日穆詑)…中略…
その記録は、什師の諌状奏聞の事蹟を、日穆といふ彼の師の上足の人の筆で、その中に日穆師が、諌状奏聞の趣旨について、什師に尋ねたのに対し、什師の答へた語がある。
『日穆尋ねて云く、報恩鈔に云く、天台伝教の弘め残したまふ所の法門三つあり。所謂本門の戒壇と本門の本尊と、妙法蓮華經の五字とこそ候に、(師の)申状の如き(は)、天台は一心三観一念三千、日蓮は題目の五字とこそ候に(へ?)。何ぞ上の(戒壇と本尊)の二つをば、載せず候耶等云云』
天台伝教の未弘の法門が三ツある。所謂本門の戒壇と、本門の本尊と、題目の五字であると大聖人が仰せられてあるのに、師が武家公家への上書には、専ら題目の五字のみを天台伝教の一心三観一念三千に対してお説きになつて、本尊と戒壇の事は、天聴及び将軍家に向って、何等申し上げて居られない。これはどういふ次第でありますかと尋ねて居るのである。それに対して、日什師の答は、
師曰く、『尤も所難の如し。但し申状に裁せざることは、上ニヶ條は、当宗信仰の後申し立つべき法門にて候間、載せず候。』
戒壇、本尊といふことは、信者以後の人に向って初めて言はるべき事で、未だ信仰しない人に対して開示すべき法門でない、それだから言はぬのである。これは『逆縁ノタメニハ但ダ妙法蓮華經ノ五字ニ限ルノミ』の意で、宗門上古の正義を示したものだ。またこの書の最後のところに、斯ういふことがある。
『総じて奏聞の事は、涅槃經の、若善比丘等の、佛法中怨の難を恐れ、是我弟子真声聞也等の金言に任せて、上人(日蓮聖人)仰せ候ひし事なれば、一天御承引のなからん程は、日什が門弟に於ては、一大事たるべく候。是則ち日本国の人に訴ヘ申し候也。一天承引の後は、花洛の弘通、公方に望むことは、名利の禍も有るべく候か。仍て田舎卑賤の土民を教化する事を、化導の本意と為すべく候。』
もう一国同帰となったといふ時までは、みな集中して公家武家を諌奏せよ。若し国主信用して、一国同帰の場合に至れば、初めて都から離れねばならぬ。何となれば、その暁に、なほ都での弘通は、名利を望むに似て感心しないから、一国同帰となった時には、我が弟子等は、皆田舎へ行って弘通しろ。それを私の門弟に特にいって置くといふのである。
この中に二つの感銘すべきことがある。『一天承引なからんほどは、日什が弟子に於ては、一大事たるべく候』といって、どこまでも『一天承引』を目標として居ることと、今一つは、『一天承引』の後は、京洛に留まってグズグズして居ては、名聞栄利を望むやうでいけない。早く田舎へ行って、地方の民衆を教化せよといふことで、中央集権の後は、もはや地方を顧みないやうな政治家などは、宜しくこの什師の態度に恥づるがよい。これも日什師が、法華の円理について、十分の体験をもって居たからの卓識である。
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