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本門の戒壇について
16
:
管理者
:2003/11/07(金) 11:54
空き缶さん、今日は。
ご参考まで。日蓮聖人の実現の宗教135頁に
そこで此の「心底抄」(原漢文)の内容は、三大秘法を講説したもので、その中の『本門
戒壇』の下に、
『本門ノ戒壇建立必定ナリ。所以ハ何ン。涌出、神カノ明文ニ、本化ノ大人ヲ召シテ久成ノ要法ヲ授ク。故ニ経ニハ、後五百歳中広宜流布、於閻浮提無令断絶卜説キ、釈ニハ、当ニ知ルベシ、法華真実ノ経ハ、後五百歳ニ於テ、必ズ応ニ流伝スベシト明セリ。加之、天台ハ下方ヲ召シテ来ラシムルニ、亦三義アリ。是レ我ガ弟子ナリ、応ニ
我ガ法ヲ弘ムベシ。緑深広ナルヲ以テ、能ク此ノ土ニ遍スト宣ベリ。』
と書き出して、『本門戒壇』将来必らず建立せらるべきであると断諭し、つゞいて
『道暹云ク、付嘱トハ、此ノ経ハ唯下方涌出ノ菩薩ニ付ス。何ヲ以テノ故ニ爾ルヤ。法ハ是レ久成ノ法ナルガ故ニ、久成ノ人ニ付ス等、経釈符契ノ如シ。行者(これは日蓮聖人のことである)既ニ出現シ、久成ノ定慧(本門の本尊と題目)広宣流布セバ、本門ノ戒壇其レ豈立タザラン哉。佛像ヲ安置スルコトハ、本尊ノ図ノ如シ。戒壇ノ方面ハ、地形ニ随フべシ。国主信伏シテ、造立ノ時至ラバ、智臣大徳宜シク群議ヲ成スベシ。兼日ノ治定、後難ヲ招クコト有ラン。寸尺ノ高下ハ、注記スルコト能ハズ。』
なかなか識見明快である。本門の戒壇は、必ず建てらるゝ時があるに相違ない。その時には、佛像を安置することは、この本尊曼荼羅の如く安置すべきである。戒壇の方面は、地形に随って定むべきである。国主信伏して、一国同帰の戒壇を造立するの時が至ったなら
ば、その時には、必ず智臣大徳が、その事に就いてよく熟議して、宜しきに従って、きっと真の戒壇が建つであらう。その時も来ない今において、所謂『兼日の治定』=勝手な事を小田原評定すること=は、却って宜しくない。さういふ訳だから、寸尺の高下等は、此に註記することは出来ないと、かういふのである。
第三項一妙=導師との符契の解釈
そこで此の「心底抄」は、彼の江戸時代の単称日蓮宗の学者、一妙導師の説と最も近い。導師は、戒壇造立の時がいたったならば、その時は国王は無論の話、皇太后にも、法師にも、国臣にも、必らず本化の菩薩が出られるだらう。さうして真の本化の本門戒壇が、建
設せられるに相違ないといふことを、「祖書綱要」に、信念欝勃たる文章で、
『其ノ時既ニ至ラバ、則チ上行等ノ四大薩た、国母トナリ、賢王トナリ、良臣トナリ、聖僧トナリ、折伏ヲ以テシ、摂受ヲ以テシ、戒壇ヲ勝地ニ築キ、三秘ヲ普天ニ掲ゲンコト、決定シテ疑無カラン。誠惶至炊。然ルニ其ノ時無クンバ、応ニ本化所弘ノ三秘ハ、未ダ迹化過時ノ三学ニ及バズト言フべシ。無稽ノ曲説、大ニ宗旨害アリ。彼等ノ偏見ヲ容スべカラズ。』(原漢文)
と、断乎として国立戒壇を否定する説を排斥して居るのである。そしてその理由も文章も恰も三位口順師が、六百余年前に書いて居るのと、符契の如く合って居るではないか。
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