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本門の戒壇について
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:
大東亜の星
:2009/09/07(月) 12:42:06
悪僧日達は、正本堂を指して「事の戒壇」と云い、また「今や広宣流布」と云って、宗開両祖の御教示を蔑ろにして、己義・邪説を構えて世間と八百万信徒を欺いた。この出来事は宗門史に長く残る破廉恥な悪行である。
このような悪僧日達の独善的教義歪曲は、創価学会の政治選挙を勝たせるためであり、伝統教義を歪曲してまでの開き直りとも云うべき、魔僧の出来以外には考えられない変節であった。
この邪義を粉砕すべく、当時、弱小在家教団の妙信講を率いる浅井氏は、宗門諌暁書たる「正本堂に就き宗務御当局に糾し訴う」を、日達をはじめ宗門12人の高僧に奏呈。
それに驚いた日達は、昭和45年4月3日浅井氏を本山に呼び付け「浅井さん、この本は実に良く書けていますねぇ、宗開両祖の仰せのままです。間違ったところは一つもありません。私にもこんなに上手くは書けません」と、発言。
そのような発言をして浅井氏を褒め称えながら、4年後の昭和49年8月12日、悪僧日達は妙信講の頸を刎ねて云く「宗門の公式決定に従わず、国立戒壇を捨てないため」との理由で、大聖人以来の正しい教義を展開する在家の信徒団体を根こそぎ抹殺したのである。
ある教に云く「道理、証文よりも現証に如かず」悪僧日達は、妙信講の頸を刎ねて5年後の昭和54年7月22日の未明、突然襲ってきた発作により、敢え無く黄泉の国へ旅立つこととなったが、退院後、池田大作と二人してアメリカ旅行を楽しみにしていた矢先の出来事だった。
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