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本門の戒壇について

140JIN@霊○会:2007/02/27(火) 10:53:03
直人さん、レスありがとうございます。

>両山が論拠とするものは偽筆・偽作であって論拠にはなり得ません。
全くもって同意でございます。調べれば調べるほど色々な意見が散逸し、
かつ、自門の正当性を主張する為、偽作と言う所作を平然とやってのける。
日蓮聖人や興尊の深き悲しみが聞こえてきそうな感を受けます。

>日順師は『本門心底抄』に「戒壇の方面は地形に随ふべし」といいます。
順氏のこの言葉こそが正論であるべき気がします。

>広宣流布が達成していない時点で戒壇建立地を論ずる
直人さんの言われる広宣流布の達成とはどの時点をさされるのでしょうか。
私見ですが、戒壇建立と広宣流布の達成は関係ないような気がしております。
三大秘法抄の真偽は別として、同抄の御分を借りるなら、

「有徳王・覚徳比丘のその昔を末法濁悪の未来に移さん時」

と、時の条件を明確にされてます。

有徳王は、敵が沢山いる中で命を落とされたのですから、
戒壇建立の時は、敵が国中に満ち溢れ、正法が滅っせんとした時に、
正法護持の人間が蜂起した時と解釈されるのではないでしょうか。

また、顕正会や、昔の創価のように、一人も残らず全員が信を取った時点を広宣流布達成と
いうのであれば、その地は既に寂光土となり、「雨土くれを砕かず」となり、
「宝土何ぞ壊れんや」となります。

有徳・覚徳のその昔を移すべき未来=末法濁悪の時でなければなりません。

そう考えると、諸宗の主張する「戒壇建立は達成の時」では無く、
敵が多数存在する時と考える必要があるのではないかと思います。

ご意見を頂戴できれば幸甚でございます。


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