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本門の戒壇について

138JIN@霊○会:2007/02/26(月) 15:11:42
勉強になります。

>堀師は六万坊については『富士日興上人詳伝』に記す如く懐疑的
はい。ただ建立すべき勝地としては、四神相応として大石寺と明確に断じていたかと記憶しております。

「(大石寺を指して)まさに四神相応に近からずや。富士四山(重須、下条小泉、西山)の地勢は、大いにこれに遠きにあらず
や。おのおの、その開基時代相地の用意・不用意、深く味わうべきことで、ことに我れら開山日興上人・開基檀
那南条時光の、遠き未来を鑑みての十二分の御用意に感謝すべきである」

また、確かに天母山との説も大石寺に残っていたものの、明確に大石ヶ原と主張した法主もいたようです。

日因氏(研究教学書十六巻七一)
「広宣流布の日は、当山をもって多宝富士大日蓮華山本門寺と号す可し」

日宣氏(世界之日蓮)
「今は是れ多宝富士大日蓮華山大石寺、広宣流布の時には本門寺と号す」

私の見解では、大石寺の法主によって、教義が右に行ったり、左に行ったりしてたのでは?
と言った印象を受けております。

>日興上人、日興門下の本尊意識であったと考えています。
なるほど。と、なると造仏をした日精氏などは、興尊の意図に適った記述を
「随宜論」に記載したのですね。

それを創価や堀氏が叩いた。

実際、古くから言われてきた曼荼羅設計図論ですが、直人様の見解をお示し頂けると幸甚です。
主題+花押は彫刻文字(石山の戒壇本尊の如く)になるのでしょうか。
それとも法華経の経巻+御姿像のような形になるのでしょうか。


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