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本門の戒壇について
137
:
直人
:2007/02/23(金) 03:03:22
JINさん、こんにちは。
>堀氏が棟札に記載されている「北山建立説」、「六万坊説」を否定していた
堀師は六万坊については『富士日興上人詳伝』に記す如く懐疑的ではあったものの、天母戒壇論については「天母戒壇は富士諸山の共認するところなば、あながちに本師の私言にはあらざるべしと信ずるなり」といって、否定していません。それから、大正時代、日蓮正宗総講頭を務めた荒木清勇氏は『聖教乃正義』の口絵には「事の広布の時本門戒壇堂及六萬坊を建立せられるへき霊地也 天母ヶ原」とあります。また、堀師は『日蓮正宗綱要』において
「三国一の名山たる冨士山の下に堂々たる戒壇堂を中心にして一大仏教都を建設しようと云ふ御考えであつたろうが、其地割等も公にしていない、日興上人に口傳せられて其傳統は上人の腹中に存するのであらうが、場所だけは後世に天母原と云ってをる」(p143)
といいます。これは牧口氏が獄中で論じた土台となっています。
それから、六万坊については天母山には六万もの坊舎を建てられない、故に六万坊は謬説である。こんな風に論じられています。しかし、実際に六万もの坊舎を建立する必要はないわけです。比叡山なんかは三千坊なんていいますが、実際に三千もの坊舎があるわけではなく、坊舎は一つであれ、若干数であれ六万坊となるでしょう。このあたりの事を細井日達師は昭和45年6月28日、富士学林研究科の砌において、
叡山では「叡山塔中三千坊」というとおり、そんなに三千坊の寺はなかったと思います。だけど三千坊と言っております。それと同じです。本山においても一つの塔を建てて六万塔と言っております。(中略)たったひとつでもこれを六万塔といっております。そうすると、必ずしも六万坊といっても六万がそのまま建つと考えることはできません。そうすると、必ずしも六万坊といっても六万がそのまま建つと考えることはできません。(達全2−5−p333)
といいます。
>曼荼羅正依の大石寺の教義とは大いに異なるはずの『本門心底抄』では、「安置の仏像は本尊の図の如し云云」
仏像不造・大漫荼羅正意は大石寺九代・日有師代には既に確立していました。この本尊意識はもう少し時代を遡れるでしょう。ちなみに『日蓮正宗要義』では日順師や日代師の書状に見える仏像について「釈尊に四士を加える如き像でなく、法に具わる人本尊として大聖人の御影を指すのである」(『日蓮正宗要義』p258)と会通します。ただし私は日興上人は造像を認めたものの、自身は造立することがなかった。そして未来広布の戒壇本尊のみが本尊図の如く形像するものである、というのが日興上人、日興門下の本尊意識であったと考えています。
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