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本門の戒壇について

132JIN@霊○会:2007/02/16(金) 00:36:28
牧口氏の戒壇に関する発言を記載します。(出展は上記)

「(略)戒壇は観念の上からは、虚空不動的の戒の相であるが、信心から言うと、
広宣流布の時の戒壇堂であります。宗門では富士山麓の大石寺に戒壇堂を建て、
一大仏教都を建設しようと言うのが宗祖の願望であり、また私達の願望・・」

「戒壇の建立される場所は『天母原』と後世に言っております」

「ただし、戒壇堂に安置すべき御本尊は弘安二年から五年の間において・・・」

「この戒壇について、事相に顕わるる戒壇堂と、義理の上で戒壇とも思えるものとの」

「事相の堂は将来広宣流布の時、即ち一天四海皆帰妙法の社会が実現した時に、
勅命で富士山下に立ち、上は皇帝より下万民に至るまで受戒すべきところであります。」

尚、戸田氏の発言(戸田城聖全集 第4巻 昭和31年4月8日)

「昔の広宣流布の仕方は、一国の帝王を折伏して一国に広宣流布しようとする方程式を
もっておりました。帝王付嘱がこれであります。しかるに、今日の時代には、
天皇陛下がこの御本尊様を拝んだところで、断じて広宣流布はできないのであります。
いかんとなれば、国家の権利は、民衆に主権が移っている」

国主=主権者の解釈は、掘米日淳氏の指導が初見か?

「王法と仏宝が冥合して一となり、其の時の主権者が戒壇堂をご建立せられ」
(仏教手保登記 昭和26年9月12日)

誠に申し訳ないが、私個人としては、どうしても三秘法抄が真筆とは思えないし、
戒壇本尊も本物とは思えないのですが、一連の創価の指導を見ると、
発言の内容は編纂が見られるものの、根本の定義からは外れていない気がします。
とは言え、もし本尊も三大秘法抄も後世の偽作であったとすれば、
創価もまた浮かばれないと同情してしまうばかりであります。


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