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本門の戒壇について

131JIN@霊○会:2007/02/15(木) 11:03:10
>直人さん、

ご親切なレスに深く感謝申し上げます。

牧口氏の戒壇に関する論については、『特高月報』(昭和十八年八月分)の調査分に
若干記載されておりましたが、現顕正会の説と類似しております。
ただし、これは直人様の仰る通り、会員に対する指導展開ではありません。
あくまでも獄中調書において、取調べ官に対して話した内容です。

私は現在職場にいます為、該当分を引用できずに恐縮でございます。
趣旨としては、日蓮正宗の目的は?との問いに対して、天皇及び万民が信仰に目覚め、
富士の天母山に戒壇を建立するとの主張があったと記憶しております。
原文に関しましては後日UPさせていただきます。

>戸田氏の戒壇論は日本国憲法施行後3年、つまり、日本国憲法下での指導となります。
直人さんの仰る通りです。しかしながら施行後3年ですので、前憲法及び慣習については、
そう簡単に一新されることもなく、当時の慣習を引きずっての指導である事は容易に想像がつきます。

尚、戸田氏の戒壇に関する指導については、当初、天皇が信仰して万民を帰依させる方法より、
主権者が変わった事から、民衆立(現在の創価の主張)と編纂を遂げているのは事実です。

安部日顕氏講義 第53回全国教師講習会 平成16年8月26日
「6月30日には、おもしろいことを言っている。これも本当かうそかは判らないのだが、
本尊流布は豆腐で、戒壇建立はおからであり、カスのようなものだと、
戸田先生が何度もおっしゃったと言うのです。これはもし、言ったとすれば、
戸田氏は、昔だったら天皇が一人信仰して、その力で一国全部を信仰させればよいのだけれども、
現在の主権在民の上からすれば国民全体が信仰しなければならない。そうなると、
どうしても本尊流布が大事になるということから、本尊流布が豆腐なのだという意味のことを言ったのかも知れない。
したがって、むしろ内容的には、本尊を流布してみんなが幸せになるのが豆腐であって、
それに対して戒壇建立はその結果であるから、戒壇建立はおからであり、
カスのようなものだと言ったのかも知れません。」

また、上記を肯定するような指導が池田氏よりでております。

東京台東体育館における学生部第七回総会 昭和三十九年六月三十日
「戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆が全大衆が幸せになることであります。
その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。
したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます。」

>「御教書」が建築許可証というのは阿部日顕師が未だ教学部長時代に論じたことです
勉強になります。

「御教書」の解釈については、創価でも「国会の議決、選挙」と発言していた事もあるようです。
手元に資料がなくてすみません。

これを抽象的な表現ですが、堀米氏は、「国政の衝にあたる人の教示と介す」と日淳上人全集で述べてます。
日蓮聖人遺文集で確認しましたが、当時、勅撰・御教書は、漢土に渡るのにも必要な手続きだったようですね。
現代解釈ならパスポートになるのでしょうか?


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