したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

本門の戒壇について

119直人:2004/05/11(火) 20:01
 阿部日顕師は未だ教学部長であった昭和47年、『国立戒壇論の誤りについて』と題する著書
を著している。阿部師は『国立戒壇論の誤りについて』において、

  最初に国立戒壇なる語を使用したのは、身延派日蓮宗より出て在家の教団を組織し、明治
  三十五年妙宗式目を論述した立正安国会(後の国柱会)主、田中智学である。
  (『国立戒壇論の誤りについて』P5〜6)

と云い、田中智学居士の「国立戒壇論」について、

  彼の国立戒壇論の要点をあげるならば
  一、大聖人の御一生は国教の奠定にある。
  二、大聖人の本門戒壇は国家中心である。世界の教法統一の根本として国家の道法化を
   目標とすべし。
  三、三大秘法抄の王仏冥合とは法国冥合ということであり、その本門戒壇は、勅命国立の
   戒壇である。

と三点に要約し、

  以上の三点を一言でいうならば、彼の戒壇論は国家中心、国家対象ということに尽きると
  思う。その諤々の議論は、あくまで田中智学個人の見解であり、大聖人の仏法を曲解する
  ところより生じたものである。

と云うのであるが、かかる戒壇思想―特に「一」「三」は大石寺貫首にも見られるのである。
 いま試みに以下にその文を列挙してみる。
 まず、「一」について。堀米日淳師は昭和32年の「新年の辞」において、

  真に国家の現状を憂ふる者は、その根本たる仏法の正邪を認識決裁して、正法による国
  教樹立こそ必要とすべきであります。(淳全P1625)

と云うのである。堀米師にとっての正法とは日蓮正宗をさすのであるから、上記の発言は日蓮
正宗の国教化を意味するものとなろう。
 次に「三」について。堀日亨師は『富士日興上人詳伝』において、

  未来勅建国立戒壇のために (詳伝P277)

  三堂建立は興師の御理想なるも、実現は大国主すなわち大日本皇帝陛下の御命により一
  時に大荘厳を極めた(詳伝P285)

と云い、堀米師は「北尾日大氏に寄す」(昭和9年)において、

  若し戒壇の遺付が一大事と指すならば戒壇建立のことたるや王者の勅宣御教書によるの
  である。それ以前に民衆の力によって建立せよとは仰せられてをらぬ(淳全P1247)

と云うのである。そして、大石寺門流は、

  實に國立戒壇の建立こそは第二祖日興上人にのみ御遺命になつたのだ。そしてその場所
  も富士山と明白に御指示になつている。又、あらゆる正史料から、日蓮正宗のみが大聖人
  の御遺命をうけて富士山に事の戒壇(國立)を建立しようと必死の努力を続けてきたことは
  明白になつた。近頃は田中智学門流でさえも囀つているではないか。
  (『創価学会批判の妄説を破す』P202)

と云い、あたかも大石寺門流こそが「国立戒壇論」の本家本流であるかの如く云い、智学居士
門下を悪罵している。しかるに、国立戒壇論を放棄せざるをえなくなると一転して、

  田中智学の創唱する国立戒壇論の名称(『国立戒壇論の誤りについて』P8)

と云い、《国立戒壇論=田中智学の邪義》という構図を形成するのであるから、厚顔無恥と云う
ほかない。(この稿続く)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板