したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

大東亜戦争(太平洋戦争)の真実

53凡人:2014/05/29(木) 12:29:11 ID:bwiS95oU0
横浜大空襲 煙る街 神奈川区の航空写真発見 【神奈川】
2014年5月24日Tokyochunichi

爆撃を受ける横浜市神奈川区の航空写真(同市史資料室提供)

 1945年5月29日の横浜大空襲で被害を受けた横浜市神奈川区の航空写真が、横浜市史資料室(横浜市西区)に寄贈された資料から初めて見つかった。かつて横浜に窯があり、空襲をきっかけに途絶えた「眞葛(まくず)焼」の研究家が、米国から入手した。7月まで資料室に展示されている。 (杉原麻央)

 焼夷(しょうい)弾が落とされた街から、煙が上がる。航空写真は、横浜の中心市街地に出撃した米軍爆撃機「B29」五百十七機のうち、東神奈川駅を攻撃目標とした機体に搭乗した元中尉が残した。写真右上に、横浜港の瑞穂埠頭(ふとう)と山内埠頭が確認できる。

 横浜で制作された眞葛焼の収集、研究をしている横浜市内の洋菓子メーカー社長山本博士さん(44)が昨年、米国のインターネットオークションで写真を入手した。空襲による眞葛窯の被害を調べる目的で元中尉に関する資料を落札したものの、「個人では生かしきれない」と寄贈した。

 横浜の眞葛焼は、一八七一年、京都の陶工・宮川香山(こうざん)が輸出向けの陶磁器を作るため、横浜市南区の敷地に窯を築いたのが始まり。精巧な装飾が特徴の作品は、外国で高評価を受けた。その後、横浜大空襲で三代目が死亡し、窯は損壊。多くの資料が失われた。

 三代目の孫にあたる会社員宮川眞(まこと)さん(50)=横浜市泉区=は「高校に通っていて無事だった父は空襲後、焼死した家族の骨を拾い集めた。職人も含め三十人くらいが亡くなった。当時の技術は伝承されなかった」と話す。

 山本さんは横浜駅近くで資料館「眞葛ミュージアム」を開いている。「眞葛焼は横浜が誇る焼き物。横浜大空襲で文化もなくなった」と残念がり、「寄贈した資料を見て空襲をリアルに感じ、戦争を考えるきっかけにしてほしい」と期待した。

 市史資料室が開催している企画展「B29搭乗員の資料から見た空襲」で、山本さんの寄贈資料が展示されている。七月中旬まで。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板