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アジア隣国諸国の出来事

96凡人:2012/04/19(木) 15:32:26
台湾で消えていく「日本」
(2012年3月12日 読売新聞)
台北支局 源一秀

写真=台北市内で美術品展示や喫茶スペースとして再活用されている日本統治時代の公務員宿舎

 台湾は陳水扁・民進党政権が発足した2000年ごろから、厳しい対日本認識を見せてきた「国民党史観」から距離を置き、日本統治時代を冷静に評価する社会的風潮が出始めた。

 これを受け、各地で廃虚と化していた旧日本官庁の瓦屋根の木造宿舎などを復元して宿泊施設やレストラン、カフェとして再利用する動きが広まった。身近な「異国情緒」に「昭和レトロ」が加わり、台湾の現代っ子の心をくすぐるのだ。

 築80年くらいのものが多く、日本国内であれば、取り壊しの対象となるものがほとんどだ。オンボロの日本家屋が生まれ変わるのを見るのは、日本人としてはうれしい。

写真=日本統治時代の製糖工場職員宿舎群内の事務所跡。いまはレストランとして利用されている

 しかし、一つ寂しいのは、新たな価値を見出される「日本」がある一方、確実に消えていく「日本」があることだ。

 最近、中部・南投県霧社から近い山中に住む少数民族であるセデック族のバカン・ノミンさん(89)に出会った際、この思いを強くした。

 日本統治時代、地元のセデック族子弟ばかり約40人が通う小学校で、4年生まで日本人の先生の教育を受けた。日本名は「ハシモト・サダコ」。かつて日本語を話した近所の同級生たちはすでになく、日本語を日常で使う機会はない。

 それでも、日本語で話し始めたバカン・ノミンさんはすっかり「ハシモトさん」になってしまった。何しろ「私は『蕃語(ばんご)』(少数民族語)と日本語しか話せない」。ふと、「小学校で習った日本語の歌が歌えます」と披露してくれることになった。学校で習う日本語を平素から使おう、と子どもたちに呼びかける歌だ。

写真=バカン・ノミンさん

 「今日の仕事も済みました 急いで(通学の)用意をいたしましょう」「覚えた国語、帰ったら 親兄弟にも教えましょう」「皆さん国語を習いましょう」。

 ハシモトさんはこれを畑仕事の手伝いの時や学校に友達と通う時に歌ったという。年齢から考えて、少なくとも80年の歴史はある。曲名は分からず、誰の作詞、作曲かも分からない。ただ、子どもが仕事を終えて学校に行くという歌い出しから想像するに、貧しい農家が多かったハシモトさんの地域限定のもののはずだ。

 「立派な国に生まれたね 国の言葉を知らぬのは この上もない恥だから 一生懸命習いましょう」。こんな歌詞も入る。台湾を植民統治した日本の押しつけがましさを感じる一方、貴重な歴史の資料でもあるのは確かだ。

 続いて、霧社周辺の村落の名を日本の鉄道唱歌のメロディーで歌う替え歌も披露してくれた。これも今となっては、おそらく知る人はいないものだ。

 しきりに感心していると、珍しい歌をもっと歌えるという。「頭のなかにいっぱいあるから」。学校で習った歌を毎日歌い続けてきたという。今となっては聞かせる人も一緒に歌う人もおらず、自分の楽しみのために歌う。

 別の取材があり、立ち去らざるを得ず、聞けずじまいとなってしまったが、80年もの間、日本人がいなくなった田舎で、ずっと「日本」を大切にしてくれていたなんて感激だった。

 「また来ますから、ぜひ、いっぱい聞かせてください」とお願いすると、ハシモトさんは笑顔で承諾してくれた。今度は思う存分、いろんな歌を録音させてもらうつもりだ。

 そして、日本家屋を修復してできたカフェに持ち込んで、それを聞きハシモトさんの心の中で温められてきた「日本」を独り占めさせてもらおうかと考えている。


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