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福島原発事故が語るものとは何か?
49
:
凡人
:2011/03/25(金) 15:01:59
着の身着のまま避難(2011年3月25日 読売新聞)
「ふるさとを返して」
「ふるさとは放射能を浴びた。帰りたくても帰れねえんだ」――。東京電力福島第一原発から約2キロ。福島県双葉町の避難指示区域を離れ、高崎市に身を寄せた遠藤八重子さん(70)。生まれ育った故郷への思いを尋ねると、目にはせきを切ったように涙があふれた。
慣れぬ土地での生活を案じ、涙をこぼす遠藤八重子さん夫妻(18日、高崎市の県営住宅で)
遠藤さん一家は、今月14日に高崎市内の県営住宅に入居した。震災後、家からは何一つ持ち出せなかった。防災無線で避難命令が出ると、すぐさま盲目の夫・文夫さん(75)ら家族6人と自家用車3台に分乗し、逃げ出した。
その後は地元の社会福祉会館に避難した後、福島県川俣町の施設に移るなど各地を転々とし、4日間かけて孫の友人がいる群馬県内にたどり着いた。
避難先では、毛布もなく、寒い夜を過ごした。おにぎり1個を2人で分け合ったこともあった。最長12時間に及んだ運転は、高齢の身にはこたえた。
地震直後の過酷な日々を思えば、温かい風呂につかれる県営住宅の生活はありがたい限りだ。保険証やカードもなく、当初は生活の見通しが立たなかったが、住民票を移し、通帳やカードの再発行をして新たな生活を歩み始めている。
それでもこの先、不安ばかりが募る。「知人もいないし、どこに何が売ってるかもわからない。どう生きろと言うの」。故郷は原発の恐怖にさらされる。「あれだけ危険でないって言ってたのに……。ふるさとを返して。やっぱり帰りてえ」(大塚美智子)
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