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福島原発事故が語るものとは何か?
23
:
凡人
:2011/03/24(木) 23:38:34
農畜産物に放射性物質 福島の避難農家苦悩
田畑放置、「帰る見通しない」
20日夜、県産野菜からも暫定規制値を超える放射性物質が検出されたと、県に一報が入った。ただちに健康に影響はないが、前橋市内のスーパーでは同日、福島、茨城両県産の農産物が通常の半値程度で売られ始めており、同市内の農家は不安を募らせている。東日本巨大地震から県内に逃れた、東京電力福島第一原発近くの農家は、農地を放棄せざるを得なかった苦悩に加え、農畜産物から暫定規制値を超す放射性物質が相次いで検出される事態に身を震わせている。
福島県からの避難者が集まる東吾妻町の宿泊施設で19日夕、ブロッコリー農家のJAふたば理事、若月芳則さん(61)(福島県浪江町)は、表情を凍りつかせた。
「予想していた中で最悪の事態だ」。福島、茨城の農畜産物から暫定規制値を超える放射性ヨウ素が出たことを伝えるテレビニュースが流れた。
東京電力福島第一原発から半径20キロ圏の避難指示区域から逃れてきた若月さん。地震発生時は高台の自宅にいて被災を免れたが、今月下旬に作付けを控えた畑は放置したままだ。避難所3か所を転々とし、東吾妻町で一息つくことは出来たが、故郷は放射能汚染の危機にさらされている。「帰れる見通しなんかたたない」と話す。
浪江町議も務める若月さんは昨年10月、1993年に大津波の被害を受けた北海道・奥尻島を視察。高さ約10メートルの堤防を見て、「我々も防災意識を高めなければ」と、同僚議員と話し合っていたばかりだった。野菜栽培や酪農を営む同輩の多くが安否不明になった。捜索すら出来ておらず「死に顔も見られないのはつらい」と肩を落とす。
原発の安全神話が崩れ、「土地」とともに生きる農家の生活の糧は奪われたも同然の状態になった。JAに加盟する約1万軒の農家は、田畑や乳牛を残し、散り散りになったという。「農家は原発の前には無力な存在。東電は、取り返しの付かない事態を起こしてくれた」と怒りをあらわにする。
「津波はむごい。何もなくしてしまう」。米農家の牛渡(うしわた)信悟さん(61)(浪江町)は、地震発生直後、高さ数メートルの堤防を越えて襲ってきた津波が田畑をのみ込む光景が、脳裏に焼き付いて離れない。
牛渡さんの自宅は、堤防から約50メートル。大きな揺れを感じた後、家にいた両親や息子の家族など総勢12人は、何も持たずに高台に走った。振り返ると、「白い壁」のような津波が町に覆いかぶさろうとしていた。
その後、自宅や田んぼの様子を確認できないまま、東吾妻町に避難してきた。人づてに自宅周辺の様子を聞くと、約30年かけて土作りをしてきた我が子同然の田んぼの表土は海水で流され、一部を残すのみ。トラクターや田植え機も海に消え、唯一、稲刈り機だけが残ったという。春に田植えが出来るかどうか気がかりだが、「避難指示で見に行くことも出来ない」と、いら立つ。
土地と機械を失い、先も見えない避難生活の中で、農業をやめようかとも考えた。「でも、農家は農業しかないんだよね」。気丈に振る舞っていた牛渡さんの表情が曇った。
(2011年3月21日 読売新聞)
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