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狭山事件の真相は?

1狭山現調隊:2003/08/24(日) 10:42
狭山事件については2ちゃんねるで議論されて来ましたが
見苦しい荒らしも多く議論が進まないのでこちらでの検討
もお願いします。


>参考< 
 ××××××狭山事件××××××(2000.11〜12)21レス
  http://mimizun.mine.nu:81/2chlog/occult/piza.2ch.net/occult/kako/975/975464201.html
 狭山事件(2002.2〜7)
  http://de.geocities.com/zeroyaruki/sayama/sayama01.html
 底知れぬ暗黒、狭山事件2rd(2002.7〜10)
  http://de.geocities.com/zeroyaruki/sayama/sayama02.html
 狂気の迷宮・狭山事件3rd(2002.10〜2003.1)
  http://hobby2.2ch.net/occult/kako/1034/10346/1034680074.html
 殺意の因習、狭山事件4th (2003.1〜5)(html化待ち)
  http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/occult/1043835444/
 虚構の闇、狭山事件5th (2003.5〜8)
  http://hobby4.2ch.net/test/read.cgi/occult/1053532994/l50
 無限回廊内のページ
  http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/sayama.htm

 盛況氏のHPで4thと5thを読むことができます。
  http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Poplar/6601/index.html

140レイムダック:2004/05/12(水) 01:16
少し前の投稿にて、私は「非業の死をとげたYさんが寂しくないように」と、
姉のTさんを隣に埋葬したのでは、と書きましたが、よく考えてみると、
「夫」が通夜にも葬儀にも参加しないというのはやはり異常です。
こういう場合、少々のいざこざがあってとしても、死者を弔うことは絶対に
するはず。村八分にされた家でさえ、葬儀には参加したというくらいです。

ということは、「夫」は参列したかったが、「妻」の実家がそれを拒否した、
としか私には考えられないのです。
その場合、「妻」の自殺の原因が、「夫」かその実家にあると、「妻」の
家族が考えていた、ということでしょう。
そこに至った理由が何であるか、狭山事件の真相と少しでもかかわりがある
のかはまったく判りませんが。

141M_I:2004/05/12(水) 01:23
>>138
なるほど。その三名の方はいわゆるビニール袋に包んで海に沈める等の
近親者的配慮と解釈されたんですね、注意して見てみようと思います。
それで気になっていたのですが、この問題に長く取り組んでいらっしゃる
方の中には長兄説から離れた始めた方もいるのはどうしてだろうと思って
いましたが、何やらまだ検討すべきものが残っているという事のようですね。

>>今迄の先入観に囚われぬ考察期待しております。これがネットの利点です。
何かしら役に立てればと思います。ですが仰るとおりこの事件は小説でいう
ところの「伏線」がばらまかれ過ぎてる(笑)みたいなので事実関係だけ
拾うだけでも疲れてしまいそうな・・・。

142犬神(1−531):2004/05/12(水) 02:17
一方私が思うのは・・・
いま以上に閉鎖的であったであろう農村で、
とんでもない大事件の被害者家から嫁をとるということは
Y家にとって相当重大かつリスキーな決断であったろうということです。
入籍後も実家を出てくる気配がなく、自殺までされてしまったとなると、
Y家からしてみれば踏んだり蹴ったりでしょう。
YHが通夜にも葬儀にも出ないのはY家の心情からすれば理解出来なくもないし、
トミエさんがそれを望み、遺書に書いていた可能性もあると思えます。
トミエさんは何らかの理由があってYHと結婚しようとしたものの、
このままY家に嫁いでいいものかと悩んでいたのではないでしょうか。
選択肢を無くし、ひとり悩み痩せ細っていったトミエさんの姿が、
そこにあるのではないでしょうか?

143竜崎:2004/05/12(水) 14:20
初の書き込みになります
巨大掲示板の方には、名無しですが何度か書き込みしております。
3rdスレでレスが付かなかった「思いつき」なのですが、
>>117辺りから「種違い」について触れられているので当時の書き込みを
書いてみます。

225 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :02/11/06 19:13
古い話で申し訳ないのだが、一番最初のスレ-262の中田家が保有する土地の面積はあっているのかな?
長兄の言う「3町」は警察調書にある畑二町三反を間違えたとは思えないし、山林一町三反を加えた値なら
3町を大きく超える。
したがって畑二町三反の他に七反の水田若しくは茶畑があったものと思うのだが・・・
もしそうだとすると、昭和22年から始められた「農地改革(農地解放)」により、在郷地主の田畑は
山林と家屋敷を除く2町(本州の場合)を上限に強制的に国に買い上げられたはずで、中田家は農地解放を
逃れていたことになる。
昭和22年というと奇しくも善枝さんの生まれた年であるが、日本政府に対するGHQからの指示は
その前年に出されているはずである。
(準備期間や農協の絡みで日本政府とGHQとの駆け引きがあり、指示が直ちに実行されたわけではない)
「農地解放逃れの為に中田家が何かをした」、そのここと「善枝さんの出生の秘密」とに関係が
あるのでは無いだろうか?


226 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :02/11/06 22:58
225>訂正です
「2町(本州の場合)を上限に強制的に国に買い上げられた」ではなく、「保有を
2町に制限され残りは強制的に国に買い上げられた」が正解です。

以上です。

144レイムダック:2004/05/12(水) 16:42
>>141
死体埋没の情況については、亀井・甲斐・殿岡、三氏の推理はそれぞれ食い違っています。

亀井説は「両墓制の埋葬方式の逆刑式で、近親者による鎮魂と呪詛の念を込めた」
甲斐説は「池に投棄する計画を変更したように見せかける意図があった」
殿岡説は「近親者による顔面保護目的と、複数犯に見せかける意図であった」

すなわち亀井氏は埋没が両墓制ではないかと最初に指摘した人で、弁護団による
学者の鑑定結果にも反映されています。
甲斐説は玉石や荒縄、ビニール風呂敷などを、脅迫状の記述に併せて推理している点が
特徴的で、縄の結び目からその結論を導いた推理は、なかなか説得力があります。
殿岡説は自身で事件した結果をもとに荒縄などは残土処理の「道具」であったとしていますが、
個人的感想を言わせてもらえば、前二者と比較していまいち説得力に欠けるようにも思われます。

>>143
非常に興味深い情報だと思います。
レスがなかったのは、当時の農地とGHQなどの関連で、ここまで詳細な知識を持つ人が
いなかったからでしょう。
この問題が事件にリンクしているとすれば、いよいよ難解・複雑な情況を呈してくると
思います。このあたり、当時を知る人に聴き取り調査などできる地元の方がいればいい
のにといつも思っています。

145おにぎり:2004/05/12(水) 21:20
>>144
「聴き取り調査」は、まったく不可能というわけではありま
せん。たとえば、41年前、遺体発見にかりだされた消防団の
方たちは今でも多数いるはずですし、当時の警察の捜査状況
を記憶している方もいるはずです。そこを掘り起こすと新しい
ものが見えてくる可能性は充分あると思います。これまでの
閉塞した「狭山事件」の突破口ですね。
まったく同感です。

146犬神(1−531):2004/05/13(木) 03:19
盛況氏、HPの更新お疲れ様です。
図にしていただくと大変解り易いですね。
何かがぼんやり見えてくるような気がします。

147レイムダック:2004/05/13(木) 16:12
N家の子供達における命名の仕方について、私の田舎の親戚に聞いてみました。
昔はやはり家父長制の影響で、長男に先祖代々からの人名漢字を用いることが多かった
のは言うまでもないことですが、病気などで夭逝することも少なくなかったので、次男も
同じような命名方法だったとのこと。

また子供が女であっても、万一の場合に養子をとることもあるので、同様の命名例が
あったようです。
しかし、兄弟も5番目6番目となると、それにはこだわらない命名になるだろうとのこと。
この場合は当時の名前の流行の応じた命名になる例があったとのこと。
「農家の三男坊」という言葉もあったくらいですし、実際N家の三男も養子に出ていますね。
Y枝やT志が当時流行っていた名前かどうかは不明ですが。

つまり旧来の「家父長制」「家督の相続」という慣習から考察すると、N家の子供達への
命名は、それほど特殊な例ではなかった、ということになります。
従って、命名方法からあるスキャンダルを想定することには、この話からは、妥当とは
言えなくなる可能性はあるかもしれませんね。
むろんこれもひとつの説に過ぎないわけですが。

148新井 泉:2004/05/13(木) 16:20
>>143 竜崎様
1947年(46年と云う記述もある)から1950年に行なわれた農地改革は、
正確に行なわれていない可能性が大です。
また、所有する土地を売って一時的な土地成金になった地主が、小作農から
売った土地を買い戻した事もあった様です。
そもそもN家の土地が、3町と言っていたのは長兄だけなので、この辺の話し
については眉唾物です。
つまりそれ以下だったかも知れないし、それ以上だったかも知れないと
云う事です。

>>144 レイムダック様
>>145 おにぎり様
盛況様より一報が入っていると思いますが、三女の名前は『登代子』が正解です。
墓石の模様(御影石)の為、そう見えたようです。
こちらの方は、盛況様にも画像で確認して戴いており同じ様な感想を持たれておりました。
しかしながらこれによって三女までの名前の共通性は、より類似点が多くなった訳で
四女以降は、なぜ名前に共通性を持たせなかったかが注目されます。

聴き取り調査・・・かなり難しいです。
私は何度か現地に赴いていますが、閉鎖的である事は今も昔も変わらない様です。
特に事件関連の事となると、眉をひそめる方が多いです。
今ある事を調査しておりますが、回答が得られず遅々として進まないのが現状です。

149新井 泉:2004/05/13(木) 16:36
追記
>>147 レイムダック様
貴兄の投稿を踏まえた上で、次女は『とみえ』四女は『よしえ』と同じ『え』の発音が
あるにも係わらず、なぜ『善恵』とはせずに『善枝』にしたか疑問に残る処ではあります。
また、当時の流行と云う訳ではないと思いますが、女の子の名前は『〜子』と付けるのが
一般的だった様に思われます。
そう云う意味で次女、四女は当時としてはハイカラ(藁)な名前だったとも推測されます。

150おにぎり:2004/05/13(木) 18:04
>>149
ハイカラといえば、石川一雄さんのお姉さんは「一枝
(ひとえ)」さんでしたね。
>>148
そうですか、いまだにこの事件にはふれてもらいたくない
という意識が根強いのですね、残念です。しかし、殺人現
場というわれる場所が駐車場になったり、当時のおもかげ
はX字交差点しか残ってなくても、やはり完全に「風化」
することはないということでしょうか。狭山事件は永遠の
謎。

151レイムダック:2004/05/13(木) 19:24
規模が違うと言われそうですが、同年代に起きたケネディ暗殺事件では、これも
解決済みの事件なはずなのに、あの暗殺現場周辺は、あえて当時のままにされて
いますよね。
狭山事件も、同じように現場保全ができないものでしょうか。

152おにぎり:2004/05/13(木) 20:24
>>151
そうですね、現場保全といっても、結局は「うそ」の現場
ですからね。そういう意味で、宅地化されて消えつつある
ことは、その住民自体が「狭山事件」は冤罪であるという
ことを見抜いていることの証左ではないかと考えています。

盛況さんの「実況見分結果からの考察」について

(図下の墓石)墓石の基礎部分の区切りの推理についてで
すが、これは「単に建立したときの都合」ではないように
思われます。ムラ的家父長制が体質化している地方では、
必ずそれなりの意味が墓にこめられています。

納骨される序列は

①中田家の墓
②特に墓石を建立して供養しなければならない墓
 ②-1 中田T蔵・Y女および中田正治
 ②-2 山下登美恵
 ②-3 中田善枝
③「中田家有縁」
 これは、単なる信仰上のモニュメントとして
 建立されているもので、多分、遺骨が納められ
 ていることはないのではないかと想像されます。
④「中田家供養塔」
 もっとも大きなものですが、これは墓石ではなく
 文字どおり「供養等」ですね。モニュメントです。
 盛況さんの鋭いご指摘は当たっています。多分「日
 蓮宗」系と思われます。善枝さんの墓石の後ろに写
 っている供養塔婆は、有縁・無縁の御霊を供養する
 ためのものですね。多分お盆とか彼岸に毎年「先祖
 代々」とかの供養しているのでしょう。
このことから、中田家は(いろいろ事情があるでしょう
が)信心深いということと、これだけの墓石およびモニ
ュメントを建立するのですから、経済力があるというこ
とが伺えますね。貴重な資料です。

153盛況:2004/05/14(金) 00:18
>>142 1-531氏
左様‥‥まず、通常に考えると、事件の後にお見合いで結婚が決まったわけで
すが(事件の年の秋と伝えられる)その際当然事件被害者の実家である事は婚
家(夫の家)には充分過ぎる程に解っていた筈です。そのリスクを敢て取った
婚姻と思われますが、当初、嫁が籍を入れた後も実家に残っての生活を続ける
事はある意味では納得ずくであったのではないか。ト言うのはやはり事件後の
嫁の実家の状況を情状酌量して。
しかしながらその揚句「自殺」をされ、小生の解釈では「遺書」もロクに見せ
てもらえない(或いは夫宛の遺書が無い又は隠蔽している)そこに夫としても
妻の実家との確執があり、その故通夜にも葬式にも行かず、後年公判に今更の
如く呼び出されても「何を今更」と言う意識があったのか‥‥とも考えられる。
現在では旧い考えと言う事になるがそもそも、「片親」と言うだけでもある種
の差別意識があったと思われる(これは小生自身の体験上。小生自身は年代も
事件当時より新しくしかも都会に居住していましたが)。いわんや当時の田舎
に於いてをや、ト言う事です。
なおこれは一般的常識的な考察であり、真相がどうだったのかはまた別です。
しかし、ソレはそれとして531氏独自の推理を期待してますよ。

>>152 おにぎり氏
小生としてその「区切」を敢て指摘しておいたのは、投稿された様な含みを持っ
ての事でした。しかし真相は不明なので含みに留めておいたと言う事です。
区切が意味あるものであるとしたら、昭和12年に亡くなられたT蔵氏とその
妻?(年齢行年の記載無し)と「正治」様とが、何かしら深い関係があったと
言う事になります。そうなると、単に年齢差から推定した「略系図」は間違い
であるかも知れず、そこの処が今一つ良く解りません。そこで現在の処、事実
及び通常に推定出来る控え目な事柄のみの記述とさせて頂きました。
被害者宅の墓所が経済力的にどの程度の物であるかに就きましては、近所の他
の墓所との比較も必要かも知れません。その近辺の農家では、ほとんど全て所
有する地所に墓所を設けていました。それらとの比較検討は、今後とも調査対
象の1つにしたいと思っております。
また昨今気がついた事には、写真をご覧頂ければ解りますが、墓の廻りにある
竹の棒はもしかすると「両墓制」であった頃のなごりかも知れぬと思い、その
ように一言サイトに追加記述しました。小生は墓制には余り詳しくないので、
本当にそうかは今は不明ですが。

154犬神(1−531):2004/05/14(金) 02:31
>>新井氏
名前の共通漢字について、ひとつ考えていることがあります。
後日カキコします。

>>盛況氏
文献にあるトミエさんの言葉を含め、
トミエさんが書いたY宛の遺書を想像すると・・・・

Yさん、私は汚れた人間です。
私は自分や家を守るために嘘をついてきました。
そのせいで無実の人が死刑になろうとしています。
私はあなたの家にお嫁にいくことは出来ません。
これ以上あなたやご家族に迷惑をかけることは出来ません。
どうかお許し下さい。

Yさん、しあわせになって下さい。      トミエ

長兄の言う「常識では考えられないこと」は、
石川氏が無実であるということを、自分も承知しているにもかかわらず、
そう発言したものだと思います。
トミエさんは一度は結婚を決意したものの、このままY家に嫁いでしまったら
Y家を不幸にしてしまう・・・
苦悩の果てに自ら死を選ぶしかなかったのではないでしょうか。
そしてN家に留まれない理由もあったのではないかと。
それがヨシエさんの事件とかかわっていると考えられます。

155犬神(1−531):2004/05/14(金) 03:32
あ、追記です。
現調時にN家近辺の墓所にも、遠目ではありますが目をやったところ、
やはりN家のものはかなり立派であったといえるでしょう。
新しさの点でも。

156おにぎり:2004/05/14(金) 06:41
中田家墓石にある竹の棒ですが、「両墓制」のなごりのようにも
みえますが、多分「施餓鬼供養」のとき旗をくくりつけるポール
じゃないでしょうか。

157竜崎:2004/05/14(金) 10:49
>>148 新井様
日本の小作農は事実上「永代小作」で小作人は農地に
対して思い入れがあるため、一度手にした農地を簡単に
手放したりしません。
私自身、生まれ育ったのが「田舎」と呼ばれる地域で
住人の殆どが自地で営農していますが、農地解放以前は、
自地を持つのはほんの数軒でした。
農地改革が「厳格」に行われていない可能性については、
その通りだと思いますが、形骸化防止のために買い戻す
行為は禁止されていましたので、単純に買い戻したのは
無いと考えます。

>>3町と言っていたのは長兄だけ
3町という数字が、長兄の放言だった可能性の方が
高いと言うことですね。

158レイムダック:2004/05/14(金) 16:20
次女が自殺した後の報道によると、彼女は大学ノートに書いていた日記を石川氏の
地裁死刑判決直後から中断したようです。
「身体がだるく、頭が重い」と訴え、死の十日ほど前に訪れた堀兼診療所では、
「極度のノイローゼ」と診断されたとのことです。

また、父親宛ての遺書にはこう書いてあったとのことです。
「死を考える親からよい子など生まれません。五月一日善枝の供養をしたときはじめて
自分がわかった。二人で真っ黒になって働らいていた頃が一番幸せだった」
さらに「夫」宛ての遺書には、
「私は美しい花をみても美しく思えない女になってしまった。あなたを幸福にできない」
と書いてあったとのこと。

このことから、次女の遺書は一部かもしれませんが、公開されていたことが見てとれ
ますね。ただ、長男が言う「日記には常識では考えられない事が書いてあった」のが、
この遺書のことを指しているのか、それ以前の日記のことなのかが不明ですね。
もし後者とすると、彼女は日記を書くのを中断していたわけですから、一審判決以前から、
次女は「常識では考えられない」精神状態に陥っていた、ということになりかねないよう
にも思われます。

次女は事件の年の秋にお見合いし、十二月には入籍しています。
非業の死を遂げた妹の喪が明けてからでもよかったように思われますが、なにか特別に
急がなければならない事情でもあったのでしょうか。
しかし、この年までは特に変わったことはなく、体調が悪くなったのは年が明けてから
としても、亡くなったのは七月ですから、ノイローゼは急速に進んだと見てよさそうです。

159おにぎり:2004/05/14(金) 22:53
>>158
父宛の「遺書」はじめて見ました。この出典はどちらですか?

160レイムダック:2004/05/15(土) 14:16
>>159
「サンデー毎日」(昭和39年8月2日号)と「週刊現代」(昭和39年7月30日号)
の記事からの引用です。

161盛況:2004/05/15(土) 17:52
>>154-155
「遺書」はそのようであったかも知れませんな。小生はこの「変死」はやはり
自殺と見ておりますが、ただ状況が余りにも判然としないので、自殺であるに
しても、色々と隠したい事情があったのでしょう。

他家の墓まで観察する余裕がありませんでした;;もしその様であれば、やは
り被害者宅の墓所は相当に立派なものであると見ていいでしょう。

名前の文字の考察、期待しております。

>>156
或いは、単に鳥除けかも知れません(藁
しかし施餓鬼供養の可能性は高そうです。

162おにぎり:2004/05/15(土) 21:31
>>160
ありがとうございました。

この遺書もまたまた怪しい内容ですね。喜代治の遺書ほどではないにしても、
まるで3流ドラマのせりふ。長兄の話でももとにして当時の記者がフレームア
ップしたのでしょうか・・。

関係者の「遺書」はみな共通した雰囲気があるような気がするのですが。この
ころ(1962)吉永小百合が華々しくデビュー。「いつでも夢を」レコード大賞。
映画「キューポラのある街」大当たり。そんな純愛モードが反映されている一
方、リアルな「死」がこれらの遺書からうかがえないのは、やはり作り物では
ないのかと、疑わざるをえません。

163盛況:2004/05/16(日) 14:53
既に>>152に於ておにぎりさんも指摘されている様に、墓所の構成について、
供養塔と家全体の墓石の他に、単独で設けられている墓があります。T蔵、
Y女及び正治の各氏と本件被害者とその姉の墓です。既出の「区切」の問題は
この際別としても、これら単独墓石の主は、いずれも不慮の死を遂げた人々で
あった為に、このような構成となった事も考えられます。それぞれ死因は殺害、
自殺、戦死。その様に考えると、T蔵とY女という人達も、その様な事情があ
った人達なのか、と考えなければなりません。
この場合、被害者の母と三女も通常の逝去ではありませんが、こちらは(一応)
病死と言う事で、自然死の一部と解した結果、こうなったと考えられる。

と、言う様な事を、実況見分の際新井氏、531氏と話をしていたのを今思い出し
た次第です。
もっとも、T蔵氏の墓は旧いものなので、両墓制が廃止された際、残存する最
も旧い墓石をこのような形で残しただけ、と言う事も勿論考えられます。

164Non:2004/05/17(月) 01:05
初めまして。Nonと申します。

事件・事故関係のこのサイトを検索しているうちに、
狭山事件に関する情報を偶然得る機会がありました。
その日は5月1日…Y枝さんが行方不明になった日です。
偶然性(…というか、因縁)を感じて、すこし私なりにも推論したりしています。

盛況様のサイトにある「遺体発見時写真」にある種の違和感を感じながら
(追々整理しようと思いますが)少し伺いたいのです。

それは、このスレでもあったと記憶していますが、
「地元での独特の埋葬法」
とあったのですが、どんな形式だったんでしょう?
お分かりの方がいらっしゃれば、ご教授下さい。

私なりにも、少し腑の落ちない
(勿論、明らかな「冤罪事件」だと私も思っておりますが、それを差し引いてなお)
この事件に関して、微力ながらお手伝いできればと思っています。

165レイムダック:2004/05/17(月) 16:57
>>164
「地元での独特の埋葬法」というのは「両墓制」のことを指しているのだと思います。
両墓制は、この地方に古くから伝わる土葬の埋葬方法で、遺体を埋める「埋め墓」と
供養に参るための「拝み墓」の二つのお墓を形成する墓制ということですね。

「埋め墓」には野犬よけの「犬はじき」と呼ばれる青竹を立て、さらに玉石を並べて置く。
野犬よけとして始まった風習が一種のおまじないとして残ったもののようです。

166Non:2004/05/18(火) 07:05
>>165
ありがとうございました。
なるほど、埋葬と祭事と2つ墓があるんですね。

167新井 泉:2004/05/18(火) 12:00
>>166 Non様

>>165 レイムダック様の投稿の補足
ttp://www.tabiken.com/history/doc/T/T122C200.HTM
ttp://www.town.sashima.ibaraki.jp/jiten/bunka/ryobo.htm
両墓制については上記のサイトに詳しい記述あり。

これに関連して、昭和8年の「墓石投入」事件なのですが、一般的に墓石と云うと
四角く高さ1m程度の御影石等に代表される物(下記サイトの写真右)を連想しがちですが、
どうやらN家に投げ入れられたのは、埋め墓の玉石(下記サイトの写真左)ではないか?と
仮説を立てました。

盛況様のサイトにある実況見分結果の考察に見られる一枚目左の写真にある
「中田家有縁〜」供養等の下の方を見て戴きたい。
恐らくこれらが両墓制の時の玉石として、使われていた物であったと思われます。

昭和8年当時、自由に車(トラック?)を使えた人などはごく限られた人達しかいなっかた
と考えられます。
又夜中にN家に近付けばエンジンの音で気付かれてしまう。
とすると、墓石や卒塔婆を積んで移動したのは、リヤカー等の人力で動かす物。
さらに上記の一般的な墓石と記した物をそれに積んでとなると、相当の人手が必要と
考えられるため、少人数での犯行と考えた場合「墓石投入」の墓石は、埋め墓の玉石
だったのではないかと云う推測を導き出しました。

168盛況:2004/05/18(火) 19:13
新井氏が述べた事にある程度符合すると思われるものに、亀井トム『狭山事件
権力犯罪の構造』281頁下の写真がある。被害者宅墓所の両墓制について説
明した写真。これには、家名が刻印してある通常の墓石の傍に、もっと小さな
墓石が沢山並んでいるのが写っており、現在の「〜有縁」の塔の下にある小石
碑は、この亀井本にある昔の石の一部であると思われます。

確かに実際、普通一般的な大きさの墓石を運搬する事を考えると、これはもう
大変な重労働。と言うより場合によっては不可能かも。そして投げ込み事件で
は「朝沢山の墓石や卒塔婆が投げ込まれていた」とされ、亀井本の写真から推
測すると、拝み墓(詣り墓)の墓石そのものは「沢山」は無かった可能性が高
い。沢山あったのは「玉石」の方であったとの新井氏の推測は蓋然性がありま
す。
>>167で紹介されているサイトの写真にもあるように、「玉石」と言った場合、
屍体埋没現場から出た様な文字通りの「石」とは限りません。その様な玉石も
ありますが、普通の墓石や石碑を小振りにした様なものもあったと言う事です。

169盛況:2004/05/18(火) 19:25
>>168追加
>>拝み墓(詣り墓)の墓石そのものは「沢山」は無かった可能性が高い。
とは、墓所自体に元々、詣り墓の墓石が沢山無かった(事によると1つだけ)
様に思われる、ト言う意味です。

170おにぎり:2004/05/18(火) 21:26
墓にこだわっています(笑)

なるほど、中田家の庭に投げ込まれた墓石が玉石だったのではないか
という説は説得力があります。サオ(先祖代々など書いている部分)
はとても無理ですよね。納得します。
ところで、中田家有縁墓の下にあるという玉石ですが、日陰になって
いるところにある石のことでしょうか?向井側の墓所の近くにも玉石
のようなものが写っていますが・・。
ちなみに、二審第66回公判で、和歌森太郎・上田正昭鑑定人によって
提示された鑑定書の写真がありますが、玉石というよりはもう少し墓
石に近いものですね。被害者の頭部近くに埋められていた玉石には、
「両墓制」の習慣から来る宗教的意味合いはあると思います。が、現
在の中田家の墓所にある石が形状からいってちょっと難しいのではな
いでしょうか。写真にある石はどんな大きさで、また経年変化の具合
とか特長とか教えていただければありがたいです。

171Non:2004/05/18(火) 22:26
>>167 新井様
早速確認させていただきました。
なるほど。私は東北の人間ですのが、当地では埋葬した場所に墓石を設置します。
両墓制は、古代、厄病(伝染病)から集落を守る有効な手段として
経験的に営まれたのでは…と私は想像しています。

昭和8年の「墓石投入事件」に関して、具体的にどんな事件だったんでしょうか?
(庭に墓石を投げられたって程度しか知らないもので。。。)
「狭山事件」は、何か因習めいた匂いが漂うので、
多少気にしております。

>>168-169 盛況様
私も投げ込むとしたら、石柱よりも、玉石程度であろうと思います。
ただし…一人でやった場合ですが。(複数の可能性もあるので)。
犠牲者の母親は、婚姻時、すでにその地区では嫌がらせをされる
「何か」があったのでしょうか???

>>170 おにぎり様
私は屍体遺棄状況にこだわっています(苦笑)。
盛況様のサイトにあります写真ではよくわからないのですが、
頭部はどちらを向いていたのでしょうか?
北なのか、南なのか??

それによっては、この事件は少し趣が変わるような気がいたします。

172盛況:2004/05/18(火) 23:13

>>170:おにぎり氏
>>171:Non氏
小生も暫くは墓所から推測出来得る事柄に、こだわって行く所存です。何と言
っても過日の見分での最大の出来事が、被害者宅の墓所に詣った事である故。

処で>>有縁墓の下にあるという玉石 とは、地面にある石ではなく、その有縁
塔の直ぐ下に安置してある高さ4、50cm位であったか、旧い小さな墓石、
地蔵尊のような物の事だと思います(新井氏の投稿の場合)。
その意味で、>>169に於きまして、「両墓制に於て屍体埋没現場から出た玉石
の様に自然石の様な玉石も使用されていたが(石を積み上げたモノが多い様で
す)普通の墓石を小さくした様な(要するに形は普通の墓石)物も埋め墓に置
かれていた」と言う事を投稿したわけです。

但し少し訂正します。やはり「玉石」と言った場合、埋め墓に積み上げる方の
石の事ではないでしょうか。それを「玉石」に見立てて、屍体と共に埋めたと
の亀井説です。
しかしこれも但し、新井氏の説が間違っていると言う事では無く、要するに、
「投げ込み事件」で投げ込まれたのは、いずれにせよ詣り墓の墓石では無く、
埋め墓の墓石(小さい)であったとの新井説は正しいと思います。

屍体と共に発見された方の「玉石」ですが、寸法=20×13×13cm、重
量4.65kgとの事です(実況見分調書による)。経年変化の具合などはち
ょっと解りませんが、特徴は特に何の変哲も無い様な石だと思います(写真を
見る限りでは)。
ただ、
ちょうどこんな感じの石を埋め墓に置いており、この石から「両墓制に使う玉
石」を連想したとしても、それほど奇異な推理では無いと思います。

その感じの石を用いた埋め墓↓(墓石もあるが)
http://www.kimai-net.gr.jp/kagawa/sanuki-seto/island/takamijima/dengon.htm
また、こんな風変わりな埋め墓もある様で↓(屋根付き)
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/nokoshitai/kurashi/4/
こちらは普通の墓石ふうな石を用いた埋め墓↓
http://www.fsinet.or.jp/~yukio/siaku/saryoubo.htm
ハジキ棒を埋め墓に立てたもの↓
http://www.town.unakami.chiba.jp/rekisi/siryoukan/sekizo/bohyo/01.html

などの頁をご覧下さい。

更に思う事は、屍体と共にあった玉石は、もしかすると、当時両墓制であった
被害者宅墓所から1つ盗んで来た物ではなかったか、と言う事。被害者宅では
無くても、堀兼地区に多いそれらの埋め墓にあった物かも知れない。
また更に、おにぎり氏が指摘した「日陰になっているところにある石」は当時
埋め墓がそこにあったなごりであると思われます。何故ならば、このような
「玉石」は、自然にはこの付近の土壌には含まれない物であるからです。

それから、
Non氏の御質問=屍体の向きは? 南向きです。

173;:」¥;:2004/05/18(火) 23:58
私の推理を書きます

被害者が殺害された理由は、異血の排除だと思います
真犯人は長兄または被害者一族ではなく共同体(講?)だと思います

被害者が殺害されるころには、その出生の秘密は農村全体に
知れ渡っており、当時の狭山には差別意識が根強く残っていたので
共同体(講?)としては、その存在を容認するわけにはいかず
組織的に殺害が実行され、よしのぶちゃん事件をまねて
誘拐殺人事件のように偽装されました。当然被害者一族も承認していました

この事件は組織的に起されたもので、かなりの人数がかかわっています。
被害者誘い出し役はOGで、自転車を家に運び脅迫状を届け出たのは長兄の
役割だったのでしょう。

174新井 泉:2004/05/19(水) 00:15
>>170 おにぎり様
その通りです。『中田家有縁〜』石柱の周りとでも云えばよいのでしょうか、下の方に
よく道端などにあるお地蔵さんの様な物が、両墓制時代の玉石と思われます。
これらの大きさは、約4〜50cm程で年代的には風化の度合いから可也古い物(何時頃の物かは
特定できません)と思われます。

>>171  Non様
『墓石投入事件』についてですが、被害者の両親の結婚式の朝、N家の庭に大量の墓石、卒塔婆
が投げ込まれていたと云う言い伝えです。
事件を推理する方の中には、『墓石投入事件』迄遡り『N家に対する怨恨』説と唱える方も
いらっしゃる様です。
また、投入事件が複数犯だとしても墓石の運搬は容易ではなかったと推測されます。

屍体遺棄状況については『土地の風習の逆』とされています。
確か頭部は南向きと記憶しております。
ttp://v.isp.2ch.net/up/52a6205e1160.JPG
↑あまり参考にならないでしょうが、貼っときます。(早く見ないと消えちゃうyo!)

175おにぎり:2004/05/19(水) 06:56
勘違いしていました。。『中田家有縁〜』石柱の周りにある古い
墓石のことですね。てっきり地面にある丸石かと思っていました。
これは明らかに墓石ですね。江戸時代はおふれにより武士階級以
外は「サオ」は三尺以内と定められました。大抵は無視したよう
ですが(笑)埼玉は関八州で相対的に幕府の締め付けがきびしか
ったのではないかと想像すれば、規則どおりにこんな小サイズの
墓を作ったことも考えられるのではないでしょうか。

176盛況:2004/05/20(木) 20:46
>>175:おにぎり氏
小生も文意を勘違いしておった模様。ようく読むと、おにぎりさんが聞きたか
った事は、被害者宅墓所にある「石」の寸法と経年変化の具合ですね?大きさ
は屍体と一緒にあった玉石と同じ位の物です(大小ありますが)経年変化の方
は、やはり今解りません。チョット、当日そこ迄頭が廻りませぬでした。
ただし、供養塔下の小墓石の方は、掲載した写真でもある程度解る様に、その
経年変化の具合は相当旧い物であると言えます(墓所にある他のどの墓石より
も旧い感じです)。その点、新井氏の投稿の通りです。

埋め墓の墓石のサイズですが、元々江戸期には、その様な事があり全て小サイ
ズな墓石を立てていたかも知れませんが、両墓制の写真を見ると、要するに詣
り墓の方は立派な(普通の)墓石を立て、埋め墓には玉石を積むか、小さい墓
石を立てるか、或いは玉石を積んだ上に小さい墓石を立てている様子が見て取
れます。
両墓制サイトの写真例と、亀井本のかつての被害者宅墓所の写真と、今回見分
した供養塔下の小墓石とを比較検討した結果、供養塔下の小墓石が、大きさと
経年変化の具合から言って、両墓制当時の埋め墓々石の残りであると言って良
いと思います。

177おにぎり:2004/05/20(木) 22:23
拝み墓といっても玉石だけではなかったということですね、よく
わかりました。
亀井説は今でも色褪ませんね。ところで、それ以来狭山事件に関
する画期的証拠が出てこないような気がしますが。盛況さんには
頑張っていただきたいと思います。
鎌田慧氏が書いた「狭山事件」が近日中に発刊されることになり
ました(思想社)。狭山関係では久々です。新しい視点を期待す
るものです。

178Non:2004/05/22(土) 20:30
>>174 新井様
>>176 盛況様

私が疑問に感じている点は、
①死体遺棄場所を雑木林など人目につかない場所ではなく、
何故(あらゆる意味で)発見されやすい農道だったのか?
②死体頭部に石を置いたのか?下にビニールを敷いた点も合わせ、
何か根拠があるのか?頭部保護か、宗教的理由か?それ以外か??
③死体にロープを巻きつけた理由は何か?
索痕がなく、また写真(盛況氏のHP)を見た限り、不必要な気がします。

殺害推定時刻は盛況氏のHPにあるように、
「『5月1日16〜17時殺害、深夜1時半〜4時に土中遺棄』説」を私も支持します。
当日は降雨があった由、死体を埋めるために掘った土は
約3〜4トンであろうことから(1.26m^3×2.5〜3.3)、
発掘1時間半、死体投棄〜埋没1時間と仮定して…ですが。

179盛況:2004/05/22(土) 22:15
>>178:Non氏
小生も前からその点をずっと考えておったのです。あの屍体遺棄状況には果し
て何の意味があるのか‥‥その点の推理は従来小生の最も不得手とする処で、
2板でのその点に関する投稿を読みながらも、今迄自分の考えの方は旨く纏ま
らないママに、時間が経過しておりました。

しかし今回、新井氏の尽力により、直接墓所へ参る事が出来た事により、ある
方向で考えが纏まりつつあります。
がそれを述べる前に、屍体埋没用の穴を掘削する際の所用時間について考察し
て見ます。

まず前提として、残土の量ですが、それに関する八幡鑑定書によると、何も物
体を埋めない時、残土は274kgであった事から、掘った土全体については、
Non氏御指摘の程度か、2t位と見て良いでしょう。その前提の上。

旧い亀井本『狭山事件第1集、第2集』によれば、亀井氏は解同委員長(当時)
の朝田氏に、「穴を掘る為には数時間は必要で、その点からも単独犯は無理」
として、穴掘削の実験の必要を訴え、それを受けて朝田氏は早速、「自白」通
りに単独で黒土を掘った場合どの程度の時間で掘削可能かを検証。その結果は
何と1人で掘っても30分で掘れる事が解った。この事実と、小生自身が体験
した穴掘りの時の感じから、本件に於いて単独・複数犯を推定する材料として
は、穴の掘削に要する労力面からの検討はほとんど役に立たない事が解る。
降雨の後水分を含んだ黒土が掘削の困難程度を増すとしても、1人であっても
精々1時間もあれば掘削は可能。人数が増えればその分楽になる訳です。

従って、2日未明の雨が止んだ3時前後、複数犯で3、40分程で掘削を実施、
埋め戻しと残土運搬の準備に仮に1時間を要するとしても、4時半頃には、屍
体を遺棄して引き上げる事が可能と見ております。

180盛況:2004/05/22(土) 22:57
つまり2板の過去スレでも「単独であれだけの穴を掘ったら3、4時間は掛か
る」と豪勢な反論が相次ぎましたが、小生も亀井トムも実際穴を掘った実験や
経験から単独犯でも掘り自体は30分程度の仕事、と述べていたのであって、
この事は事実としてあらためてここに断言しておきたいと思います。

それと、死亡推定日時ですが、やはり5月1日がその後の日々よりも相当に可
能性が高いと言う法医学的事実です。この件も2板の方で前々スレあたりに、
可也面白い論争がありましたが、結局死後硬直の状態がどう見ても死後3日前
後ですから、小生的にここらで決着を付けさせて頂きました。

明日現地へ追加見分の為再び参りますので、屍体埋没の仕方に伏在する事に関
する考察は、その後で投稿させて頂きます。

181元埼玉県民:2004/05/23(日) 08:13
盛況様に私信にて失礼いたします。
現地調査お疲れさまです。
ところでどこで入手したのか、被害者の長兄の手記の画像がHDDより見つかりました。
盛況氏にお役立ていただけたらと思い、下記にアップいたしましたので、お知らせいたします。
ttp://up.nm78.com/data/up015674.gif

182新井 泉:2004/05/23(日) 08:27
>>179 >>180 盛況様の補足
私も過去同じ様な大きさの穴を掘った事があります。やはり小1時間で掘れた記憶があります。
然し只掘れば良いと云う訳ではなく、あるコツのような知識が必要となります。
その方法と云うのは、一度縦方向に深く掘り、その後周りを崩して深く掘った穴に土砂を落としながら整形をし、
必要な大きさを作っていくと云う方法です。
この掘り方は、土建屋でよく使われる方法だそうです。

また、一般的に云われている穴の寸法と云うのは、警察等が発掘し易い様に大きめに掘ったのではないでしょうか?
単純に死体遺棄をするならば、それが収まる大きさであれば云い訳ですから。
つまり実際に掘った穴の大きさと云うのは、一般的に云われている物より小さく、土砂の量も少なかったのではないか?
と考えております。
何れにせよ穴は一人で行なったとしても、約1時間あれば掘れたと推測されます。

183新井 泉:2004/05/23(日) 08:44
>>181 元埼玉県民様
アップお疲れ様です、貴重な資料の提供有難う御座います。
突然では御座いますが、本日我々は現地調査を予定しております。
西武新宿線航空公園駅東口(YS-11がある方の出口)に1300時に集合です。
もし貴兄にご予定がなく且つ遠方でないなら、ご参加願えないでしょうか?

184元埼玉県民:2004/05/23(日) 08:50
>>181の元埼玉県民です。新井様、お誘いありがとうございます。
参加したい気持ちは山々なのですが、現在は埼玉を離れており、残念ながら参加はのぞめません。
この事件は冤罪事件として、中学や高校で担任や社会科の先生から話に聞いたことがありましたが、
これほど怪奇に満ちた事件だったとは知りませんでした。
県内でも狭山市に程近いところに住んでおりましたが、84年頃、何度か狭山市駅を利用したことがありました。
みなさまのご報告をお待ちしています。

185新井 泉:2004/05/23(日) 09:01
>>184 元埼玉県民様
それは非常に残念です。
もし機会があれば現調に参加して戴く事は基より、こちらの板にも遠慮せず
どんどん投稿する事をお願いします。

本日我々は、墓所、地蔵に纏わる取材を予定しております。
調査した事が纏まりましたら、盛況様のサイト及びこちらの板で発表しますので
宜しくお願いします。

186おにぎり:2004/05/23(日) 11:55
現調がんばってください。今日は石川さん不当逮捕の日。なにか
大きな発見があるかもしれませんね。

187新井 泉:2004/05/23(日) 19:02
またも墓ネタです。

既出の出版物等で云われているN家墓所における『両墓制』ですが、これはどうやら
間違いの様です。
いわゆる土葬の形の一つの様で、埋葬したそばに墓石を建てると地盤軟弱の為墓石
倒壊を招く恐れがある事から、埋葬場所から離れた場所に墓石を建てたと云う事です。

狭山でも一部の地域でしか両墓制は行なわれておらず、N家はその地域内ではありません。
つまり土葬=両墓制ではないと云う事です。

詳しくは盛況様サイトにアップされますので乞うご期待を。

188名無し:2004/05/23(日) 19:12
現地調査に参加されたみなさん、お疲れ様でした。
成果があったようでなによりです、改めてサイトの方を拝見させていただきます。

189おにぎり:2004/05/23(日) 19:32
>土葬=両墓制ではない
そうですね、以前は全国みな土葬だったわけですから。そうですか、
H兼には両墓制の慣習はなかったのですね、了解しました。

190Non:2004/05/23(日) 21:07
>>187 新井様

これは…大変な発見でしたね。私も驚きと戸惑いを隠せません。
盛況様のHP、期待しています。

私は失踪〜屍体発見の状況に関心があります。

被害者Yさんがガード下で「待ち人顔」で待っていたこと、
にもかかわらず、事件発覚後、「待たせた」本人から
警察へYさんに会わなかったことを証言していないことから、
十中八九、彼女が“顔見知り”である「誰か」との間で
トラブルになったことは容易に想像。

その辺りで証言が得られれば…なんですがねぇ。。。

191盛況:2004/05/23(日) 23:35
>>187:新井 泉氏の投稿を受け

本日、狭山市博物館で土地の習俗、文化方面の専門家2名の方と面談の上、狭山市に
於ける両墓制のあり方についてお尋ねした際に「堀兼・赤坂地区辺りには元々両墓制
の伝承は無いのです」と申されました。そこで念の為持参した亀井本の「両墓制を取
る被害者宅墓所」との記述がある頁、写真を御覧頂き、更に確かめた処、それでも、
既に新井氏が投稿なされてる様に、それは両墓制と言った物では無いと言う事を断言
され、要するに単なる土葬の由でした。言われて見れば土葬なら確かに、墓石を置く
場所と埋める場所が多少離れている訳であり、尚且つ土葬≠両墓制、ト言う訳でした。

従って、特に亀井本でそのように語られ、事件推理の上でこれ迄ある種の「定説」と
なっていた『被害者宅の墓制が両墓制であった』と言う伝聞は、全くの間違いである
事がここに判明した次第です。

この事実がこれ迄の説をどう覆し、これ迄の説でまだしも可能性として何が残るのか、
これに対する小生自身の考え方等については、後日UPするとして、事実そのものは
極めて単純明快なものであるので、取り敢えずはこの板で結果のみ簡略に報告させて
頂きました。サイトの方は「実況見分考察」での関係箇所を取り敢えずは削除しまし
た。暫くしたら、訂正した処をその頁及び恐らくは「基礎事実」の頁あたりにUPし、
且つここに投稿も致したい所存。

192レイムダック:2004/05/24(月) 12:08
>>191
詳細な調査、どうもお疲れさまでした。
堀兼・赤坂地区が両墓制ではなかった、というのは驚きですね。
すると二審で弁護側から提出され、証拠採用された学者の論文は
意味がなくなりますね。

両墓制については、唯一亀井説をもとに採用された論説で、死体埋没が
両墓制を知る犯人による「埋葬」であるとの主張でしたが、これが一挙に
崩れることになる。
ただ、真犯人がなんらかの意図の元にああいう複雑な死体の埋め方をした
ことは事実間違いないはずですから、これを探究することが犯行の動機を
知る手掛かりになり、真犯人に迫ることに繋がるとは思います。

193M_I:2004/05/24(月) 21:07
>>現地調査
お疲れ様です。
自分最近書き込みしてなくて申し訳ないです。
纏ったら書きます。

194盛況:2004/05/24(月) 23:45
>>ALL
小生自身アッケに取られる程、一瞬で「定説」が崩壊した瞬間でした(全ての
可能性が絶たれた訳では無いが少なくとも、被害者宅の墓制が両墓制であった
と言う前提に基づく推測はコレで全部没です)。
これは、ある種の定説が思い込みに過ぎない事の一例であると共に、冤罪事件
の弁護側の資料であるからと言ってそれが全て正しいとは言えない事の一例で
もあります。
なんにしても可能な限り、一応専門家の門を叩いて見る事が必要だと言う事を
改めて痛感致した次第。

これを踏まえ、自分としても何故犯人はあの様な屍体埋没を行ったのかに就き、
再考して見ようと思います。

195盛況:2004/05/24(月) 23:52
>>181:元埼玉県民氏
私信有難うござりました。その写真が出てる本「権力犯人と真犯人」を持って
おりますので、むしろ小生よりも、見た事が無い方には良い資料であると思い
ます。少し前にもその手記の話題もあった事でもあり。遅レス失礼致しました。

196レイムダック:2004/05/25(火) 00:43
>>195
いわゆる両墓制というものが、学者の見方によって分かれるという可能性は
ないですか?
正式な両墓制ではなかったかもしれないが、「埋め墓」と「拝み墓」の
二つがある以上、両墓制の一様式という見方はできないのでしょうか?
別に調査結果を否定しているわけではないのですが、公判にまで持ち出さ
れた論証なので、違うとすれば、なぜそのような誤りが生じたのかも
別な意味で興味深いところではあります。

197盛況:2004/05/25(火) 07:03
>>196
その可能性はありません。ト言うより、そうした論争的な性質の事では無いと
言う方が良いでしょうね。ただもし、土葬=「両墓制」と定義するならば、そ
うした定義も可能ではあるでしょう。土葬では当然ながら、墓石の真下に埋め
る事はしない為、「埋める場所」と「墓石を建てる場所」が違う訳です。そう
した場所の違いを以て、前者を埋め墓、後者を拝み墓、両者総称して「両墓制」
とは、学者間ではそうした定義はしていない、と言う事です。
何故そのような誤りが生じたのかに就いては、キチンと調べていないから、ト
言う一事に尽きるでしょう。「補充書第6」と同様の事であった訳です。

198レイムダック:2004/05/25(火) 12:27
>>197
すると鑑定書にあった「狭山近辺には両墓制の習俗が残っており」というのも
誤りなのですか?
それとも被害者の墓地は両墓制ではないというだけのものですか?
鑑定した大学教授はN家の墓は両墓制であるとは言っていないようですから、
「真犯人は両墓制を知っている人物」という主張が崩れるのかどうかがポイント
ではありますね。
私は、この地方に両墓制があったと仮定したとしても、死体埋没がそれを模した
「埋葬」であったという推理には妥当ではないような気がします。

ただ、そうなると、木綿ロープや荒縄などは説明できても、玉石の存在がネック
になりますね。
犯人は何のためにわざわざ玉石を用意したのか。
「両墓制説」も、この不可解な玉石から導き出されている推理だと思いますので、
これを解明する必要があると思います。

199新井 泉:2004/05/25(火) 14:25
>>198 レイムダック様
申し訳無いですが貴兄の質問には、私が>>187で答えています。
もっとも狭山のどの地域が両墓制であったかお知りになりたいのならご自分でどうぞ。
(狭山市史を調べれば一発で出てきます。ちなみに『狭山市史』と云う文献があります。)

そもそも両墓制と云うのは拝み墓と参り墓が違う場所にあり、その場所はひどく離れて
いるのが普通と云う事です。
例えば埋葬される場所は道路を挟んで別の敷地とか、或いは全く違う場所であったりするそうです。
また狭山地区の両墓制の墓地では、犬ハジキ棒を立てたり、玉石を置く習慣は無いそうなので、
犯人が地元の両墓制について知っており、それをなぞったと云う推理も成り立たなくなる訳です。

昔のN家墓所(亀井本に古い墓所の写真あり)は、典型的な土葬の形式でありその証拠となりうる
のが、囲まれた敷地の中に墓石と埋葬されている場所があるからとの事です。
蛇足ですが堀兼、赤坂地区と云うのは江戸期の新田開発当時から両墓制の習慣は無いとの事です。
つまりN家の墓所=両墓制とすると、今度は狭山の歴史を覆すと云う事と相成ります。(w

200新井 泉:2004/05/25(火) 14:57
ついでですので、今回のもう一つの課題であった地蔵について投稿します。

今回の調査で我々が初代地蔵と思っていた物は、全くの別物と云う事が判りました。
Y地蔵は、本体121cm蓮華座40cm土台30cmの全高191cmあり、事件を知った茨城の同姓
(T姓)の方が不憫に思い、被害者宅へ贈った物で建立は昭和38年10月頃だそうです。

『無実の獄 狭山事件写真集』の古い刷にある地蔵の写真もどうやら別物で、
(新しい刷では、写真が変わっているらしい。)博物館で見て貰った処、「神社仏閣に
ある物を撮った様に見える。」との回答でした。
また写真集の物には蓮華座が無く、それが別物である決め手となりました。
つまり地蔵は初代、2代目があったと云う訳ではなく、当初から犬神様から御提供の
あった写真の物が建っていたと云う事です。(盛況様サイト『現地調査写真』の項参照)
撤去された理由は、Yさんの38回忌(平成7年にあたり、N家の墓所を改修した時期に
符号する。)を機に何処かへ移動した物と思われます。
しかしながら地蔵は戴き物である上故人を慰める物として、N家ではぞんざいな扱いは
しないでしょうから、ひょっとすると未だ母屋の何処かに有るのかも知れません。

以上でY地蔵問題は終結です。

201盛況:2004/05/25(火) 15:06
>>犯人は何のためにわざわざ玉石を用意したのか。
「両墓制説」も、この不可解な玉石から導き出されている推理だと思いますので、
これを解明する必要があると思います。

全く同意します。是非解明される事を、期待しております。
 
小生らは引き続き自分らの調査を細々と進め、詳細はサイトに発表します。

202新井 泉:2004/05/25(火) 15:08
◆訂正◆
私の投稿>>200にある

茨城の同姓(T姓)の方×→茨城の同姓(N姓)の方○

203レイムダック:2004/05/25(火) 15:59
改めて亀井トム著「狭山事件第1集」を読み返してみました。
よく読むと、両墓制に対する基本的な認識は盛況さん達の調査と同じですね。
ただ、N家の墓地は「単墓制に近づいている」としている。
そしてN家一族の墓地は「堀兼地区の農家には今日ではそう沢山残っていない自家
の畑の中にある両墓制」で「接近した両墓制」の典型であるとしている。

これが何を根拠にしたものか判然とはしませんが、上田・和歌森鑑定ではN家の
墓地が両墓制だと主張しているわけではないので、真犯人が死体を両墓制風に埋
めたとする解釈自体は完全には否定できないようにも思います。
真犯人は両墓制の習俗が残る地方の人物かもしれないわけですから(私はそうは
思いませんが)。
同鑑定では、玉石は「埋め墓」に置く目印の石代わりしているようです。

204Non:2004/05/25(火) 20:35
…なるほど、N家は「両墓制」ではない以上、
>>178の②に関しては、「宗教的理由」は除外して考察してよいと思慮する次第。
頭部が南を向いた点も合わせ、「埋葬」する意図は無く、
単に「遺棄」したと考察して良いかと思います。
…とすれば、散々既出ですが、頭部の「玉石」の謎は、
①屍体発掘時の、道具による頭部損壊の防止
②「墓石」に見立てて、被害者(又は遺族)への怨念の意思表示
が有力と思います。

もうひとつ、私が大変興味があるのは、解剖時の胃内容物ですが、
それはまたおいおい。

205M_I:2004/05/26(水) 23:51
あと、③「生き埋め」の演出ですね。
文献がまだ手に入りません。26日発売の鎌田本はどうなんだろう??

206犬神(1−531):2004/05/27(木) 03:25
>>新井氏・盛況氏

現調お疲れ様でした。
今回は参加出来ず申し訳ありませんでした。
ご心配をおかけしましたが、 
NEW PCを無事購入致しました。

墓制&地蔵の件・・・
衝撃の収穫でしたね。

207おにぎり:2004/05/27(木) 21:59
玉石、ロープ、ビニール、茶の葉・・・あまりにも手の込んだ
「埋葬」方法は、いずれにしろ「犯人」のメッセージであるこ
とはまちがいないですね、それもこれだけの証拠を残しても絶
対逮捕されないという自信すらうかがえます。

入手した「鎌田本」では、謎としながらも

・・両墓制の色濃い堀兼地区、およびその周辺に住み、このあ
たりの地形を熟知している人物、そしてなをかつ、被害者との
顔見知り、あるいはきわめて親しいという犯人像が迫ってくる。

とありました。(p388)

208盛況:2004/05/27(木) 23:51
>>206:1-531氏
PC復活で良かったです。新しくすると調子イイでしょうネ。その調子で、
遠慮無しの推理、お願いしますヨ。

>>衝撃の収穫
まァ両者共そもそもその道の専門家には自明の事実であったわけで、やはりこ
れは「一次資料」をどう見るかと言う問題に関わる事であります。今日迄我々
が資料としていた「本」の場合は、更に二次資料とも言うべき事でもあり、
5月1日以来、事実関係の確認と整理だけに専念して来ましたが、ぼちぼち、
得られた事実を元にした推理に取り掛かろうと思います(この板では得られた
事実の簡略な報告だけしかしてませんでした)。

209レイムダック:2004/05/28(金) 19:19
鎌田慧氏の著作を読了しました。
大変な労作だと思います。
死体埋没の情況については弁護側の和歌森・上田鑑定に依拠していますね。
犯人が両墓制を念頭に置いていたのか否かは、動機を探る上で重要な点だと
改めて思います。それとビニール風呂敷は本当に被害者のものだったのか
どうかも大きなポイントですね。

巻末近くでは、被害社宅を訪問したときのやりとりがあり、事前連絡なしで
玄関先でいきなり事件の件を、今ではもう孫がいる被害者の兄に質問しています。
鎌田氏は、脅迫状発見後ただちに家族が駐在所に走ったことを疑問に思い、
事前に電話での連絡があったのではないかと考えているようです。

210レイムダック:2004/05/28(金) 20:33
鎌田氏のその質問に対し兄が「そんなことは話したくない」と答えたことに、
犯人からの事前の連絡があったのは事実ではないかという思いを、私は強く
持ちました。
この質問は、いわば「あなたは裁判で偽証したのですか」という問いと同じ
ですから、面と向っていきなり詰問されれば、そうではないのなら「そんな
ことはありません」と強く否定するのではないでしょうか。

もっとも、家族(特に長男)は、一時犯人扱いされたほどですから、もう事件
の取材には関わりたくないという思いが強いのでしょうが、それならばこそ、
ここはむしろ強く否定した方がよかったのではないか、と私は思いました。

211M_I:2004/05/28(金) 20:43
そうですよね、普通ならば自転車を見た時点で帰ってきてると思わなければ。
吉展ちゃん事件の報道があるとも田舎なのだからイタズラに決まってる。

警察に予告状が届いてた可能性はどうなんでしょう。
(これも既出でしたか)

212おにぎり:2004/05/29(土) 17:31
>予告状
「鎌田本」では、脅迫状が届けられる前に有線電話で犯人から
中田家に連絡があったのではないかと想像しています。

213M_I:2004/05/29(土) 21:58
>脅迫状の前に警察に予告状
これ考え直したほうがよかったです。多分犯人は書きたかったんじゃないかと思うのと、
早い時期から初動捜査が始まっていたらしき話をくっ付けてみただけなんですけども、
脅迫状には「警察には話すな」と書いていたので(お決まりの文句ではありますが)
なさそうですね。脅迫文の内容を忘れてました。

長兄に主眼をおくために(おきたいので)長兄が関わってない可能性も考える必要があるのですが、
最近の報道でも、被害者遺族のなかにはその心境をまるで小説の一節のような飾りっけのある文章に
おこす方が結構多く(女性が多い)、これはおそらくそういう文章が文章として高等なものであると
誤認されているからだと思われますが、話によると長兄の場合は殿岡本の時点ですでに
事件当時のそれとは一変して黙秘状態にあるので、その可能性は見なくても良さそうですね。
本件の最重人物であると決定しても良いと判断。
それと参ったことに孫までいるそうなので墓の中まで持っていく気でいるようですね。
「立証されなければ良し」ではなく「もう忘れたい」だったのか・・・。

214M_I:2004/05/29(土) 22:48
それと書き忘れましたが、「近所の人にも話すな」とありますが長兄は真っ先に
近所の親戚に寄りましたよね。

埋葬現場の写真ですけど(絶対既出だと思いますが)、玉石が腰のあたりにあるようなんですが、
これは警察が移動させた事になっているのですか?被害者の後頭部の傷がスコップによるもので
その言い訳として「頭の上にあったよ、だからスコップじゃないよ」みたいな感じで(ここでも)
ねつ造されてないでしょうね(笑)。それにしても86センチは深いですね、雨に濡れた形跡もないと。
まるで「ここで行われた」ような感じで、別の現場を隠したいような感じもしますし。
西武園の池というのは真逆の方向だったりしませんかね。「車で行く」といって行かなかったりと、
「フェイント」をOKとするようなので、池に沈められなかったことを然程気にしていないに違いない。
結果的に「それっぽく怪奇的」であれば良かった、玉石はやはり用意されるような(そこら辺に無い)物
だったのでしょう。穴の底にあるタオルを巻かれた後頭部を犯人が見ているとして、
「顔を保護したい」と思ったのならタオルの結び目を解くべきじゃないでしょうか。
装飾の遺留品が用意され持ち込まれたものならば、「犯行若しくは運搬過程の縄類」諸共そのまま埋めて
しまったのではなく、絞殺されて施されたものということになりますよね。
法科学では絞殺であるのに後頭部を打ってみたり縄で縛ったりするのはどうしてなのか。
「ここで強姦して埋めてやったのだ」と言いたいのか、「(背景:吉展ちゃん事件)注目される死体」に
したかったのか、これの場合だと直接の死因よりも遺体の在り方(演出)を気にするということで、
「実際的な事よりも見立てを重視するタイプ」ですよね。まだまだ分かりませんが。

OGの新居は当時建築中だったらしいのですが、建築中にも関わらず使用してたんでしょうか。
それと「OGは新居の部屋で農薬により自殺した」とだけ書いてあるサイトもあるのですが、
井戸から見つかったのが本当で問題ないですか?

「古いもの」は差別用語として被差別者を指すものなのか、「農村には祟りや魔物がいますよ」
と言いたいのか(演出)。いまいち閉めきれない。

215M_I:2004/05/29(土) 23:06
また書き忘れました(送信した後に思い出す)、長兄が優等生であったことや字の綺麗さ、
そして新聞社勤務は何故終わったのか、会計士を始め学校に通い、顔面神経痛と脊椎の病で
自宅に舞い戻るはとても重要な部分だと思いますが、これについて詳しく知りたいですが
知れる訳はないですよね。この流れはその手の人格障害を形成した過程として見れるエピソード
が隠されてる可能性が高いです(自作のミステリーが出版社に跳ねられていればなお良し)。
かなり良い材料になります。そして手記の字の綺麗な事、綺麗に伸ばした「す」の後に「。」なんか
書きたくなかったんじゃないですかね、見栄えのほうが大事なんじゃないのか。

216M_I:2004/05/31(月) 16:54
肝心な事を飛ばしてました、嘘か本当かは別にしても「誘拐事件」でしたね。
拘束と目隠しは単純に誘拐なのだから当たり前でした、「誘拐の装い+アルファ」。
ビニールといってもブルーシート並に頑丈なものかゴミ袋程度の手で破けるようなものか
とか、縄とどう結び付けられてるとかちゃんと確認してからでないとダメですね。早まった。
ビニール全体の大きさとかも重要。それにしても86センチは深くないですかね?

217レイムダック:2004/05/31(月) 17:14
玉石は頭の上に置かれていたのが事実のようです。
そもそも、山狩り隊は被害者の遺体発見のために捜索しているので、
隊員がスコップで傷つけることはありえないでしょう。
この場合、細心の注意を払って作業すると思います。

218M_I:2004/06/01(火) 17:04
>>217
そういうものなんですか、勉強になりました。それにしても考えようによっては可能性が
沢山でてくるという選択センスを問われるような嫌な事件ですよね。
一貫性がなさそうな、どこが意図されどこが偶然や気紛れなのかとか、解りません。
僕が玉石かと思った腰の上のやつも拡大して観るとビニール風呂敷に観えなくもなかったり。
埋葬現場付近は「人が襲われる」という変な噂があったらしいですね、変な声を聞いた人物も
いるようですし、埋められた農道は粘土質らしいですね。ちゃんと読んだら知らなかった事が
結構出てきました(自分は確認を怠るという悪癖があります)、地割れしてたという証言は
何気に注目してますが、これって埋めた当時土が水を吸ってたということなのでしょうか。
それと奥富農協だか協会だかの敷地内なんでしょうか。それ以前にこの奥富氏は誰と
婚約してたんだろう、こじつけて16歳の被害者とだったと考えたいんですけどね。
丁度結婚が法的に認められる歳ですし。それよりも資料に目を通さないと・・・。

219レイムダック:2004/06/01(火) 17:43
>>218
死体はスカートが捲り上げられ、下着もずり下げられてあったので、
おそらく公表する写真用にと、鑑識官か誰かの配慮で死体の腰のあたりに
布切れをあてがったのでしょう。

OG氏の婚約者は成人です。
自殺した原因は、OG氏に性的な悩みがあったと伝えられており、伝聞では
走り書きの遺書に「病気に負けた」とあったらしいことが、それを裏付け
ているといわれています。
ただし、これを」否定する意見もあり、確証はありません。

220M_I:2004/06/01(火) 19:24
>>219
なるほど、それが一番本当らしいですね。

そんな話もあったんですか、こんなのばっかりですから筋道立った説得力のある間違い
をいくらでも生んでしまいますね。劇場型犯の説でも分岐点が沢山あるのですが、
どれも有り得そうな何かしらの背景がありまして、解らないくなってます。
この事件の争点は「善枝さん殺し」の部分だけみたいなので、その他の変死者なんかは
「まだ他に犯人がいるのかも知れない」という方向を揉み消すように何でもかんでも
「自殺」として処理されてしまって資料がちゃんと残されてないということなんですね、おそらく。
確率の話になりますが前後10年かそこらで若者が多数人が各個人に「何かしら」があって亡くなる率
よりも「ひとつの原因」による結果であるとしたほうが有り得ると思うのですが、どうなんでしょう。
僕としては変死者の遺書の類に「犯人が他人に転嫁させてしまった苦悩や責任」なんかを
関連させて読解しようとしてたのですが・・・、そうですか、OG氏にそれらしき話がありましたか。(痛)
まあ、まだ決定はしませんけどね。それと埋葬の遺体は口を塞がれていないので普通の誘拐事件ではない
というのは信じて良さそうな。「普通にそのまま埋めたのではない」や「そのままの犯行跡ではない」とか。。

221おにぎり:2004/06/01(火) 20:26
「OG自殺」について(まとめ)

①中田家元作男、中田家と関係が深く、もちろんY枝さんと知り合いだった。
②5/1 3:40西部通運入間川営業所の勤務を終え15:50頃一人で自転車で帰ったが
 実際帰宅したのは19:00頃で、その間3時間ほどの行動は不明
③中島いく証言によれば、第二ガード下でY枝さんを見かけたのは15:40
④両者とも誰かと待ち合わせていたような感じがあった
⑤OGの通勤コースとY枝さんの通学コースは同じ
⑥OG家人は「OGは5/2から会社を休んだ」と言っているが、会社は「5/2,5/3
 はノイローゼぎみながら出勤。5/4から休んだ」と主張している
⑦OGの筆跡は脅迫状と似ている(五分五分ということは否定できないということ)
⑧OGの血液型はB
⑨遺体発見現場のOGの新居は近い
⑩遺体とともに発見された五十子精麦所から配られた手ぬぐいは西部通運の車ではこ
 ばれていたから、OGが持っていた可能性がある
⑪結婚式を前日にひかえ、その準備もほぼ整っていた矢先の自殺は常識で考えられない
⑫農薬を飲んだうえ、水が枯れた井戸に飛び込むという自殺方法は念入りすぎて、かえ
 って疑惑をいだかせる。
⑬警察の捜査がOGの周辺に及びつつあった

「狭山事件」の大きな転換がOG「自殺説」にあると思います。そして石川一雄さんがスケー
プゴートにされます。どう考えてもOGの自殺はありえないでしょう。

222レイムダック:2004/06/02(水) 23:44
OGが実家に帰ったのは午後5時頃ではなかったですか?
親戚の人が祝儀袋を持って訪ねて来たという証言がるようです。
午後3時頃には新居にいたという近所の人の話もあるようですが、
これは日にち違いということにされているようです。

223おにぎり:2004/06/03(木) 06:48
>レイムダックさま
ご指摘ありがとうございます。訂正します。

②・・帰宅したのは17:00ころで、その間のアリバイがない。

なにせ、1970刊の初期の資料をもとにしていたものですから。
やはり新しいものでないとダメですね(^^;;

224幽玄怪老:2004/06/07(月) 01:05
4册か5册の,事件に関する書籍だけを読んで自分では何も調べようとしないでいると,
ここの人達のようになる.

225M_I:2004/06/07(月) 01:30
>>4册か5册
読めません。「4冊5冊」ですか?自分はまだ一冊も読んでませんが。
鎌田氏の文献を買う予定ですが近所の本屋では扱っていなかったので
届くまでに時間がかかります。この本で前進できれば良いのですが、
出来ない時は強行突破します。

226おっさん2号:2004/06/07(月) 10:17

一冊も読んでいない¨これから「鎌田」作mmm。
では、問題外でしょう。私は幽玄怪老さんに同意しますよ。

227新井 泉:2004/06/07(月) 12:23
>>226 おっさん2号様
基本的には同意、ただし既刊の出版物が正しいと考えるのも問題アリですね。
事件の概要や、筆者の考え方(推理)を知る上で狭山事件関連の本を読むのは良いと
思いますが、詳しい事を調べるに於いては推理本に頼り過ぎるのはあまりにも危険
と思っています。

228おにぎり:2004/06/07(月) 19:59
わたしの発言が問題になっているようなので。

このへんで、おしまいにしましょう。2chではないのですから。
いろいろなひとがそれぞれ「狭山事件」を考える、それでいいの
ではないですか。

229M_I:2004/06/07(月) 22:34
>>227
ということは鎌田本も推理本なんですか。某レビューでは結構総括されたものだと書かれていたので、
これにしようと割りと安易に決めただけなんですが、著者の主張よりも知らない情報を見るためです。
それと探し方が悪いのかもしれないですが、古本は結構厳しいので。という感じです。

230レイムダック:2004/06/07(月) 23:17
>>229
鎌田慧の新刊はいわゆる推理本ではありません(かといって推理本が悪いといいたい
わけではありません。念の為)。
石川氏の冤罪を証明する点に絞られていますので、事件の真相を解明する、という
内容ではありませんが、執筆に七年かけた書き下ろしとあって、事件の概要はおおかた
把握できる労作です。

著者はベテランのノンフィクション作家ですから、文章に、小説のような余計な装飾
がなく、一気に読める大変面白い本だと思います。
事件に初めて触れる人の入門編としても最適ではないでしょうか。

231幽玄怪老:2004/06/08(火) 00:40
おにぎり殿
別にそこもとの発言だけを取上げているわけではない.
[2chではないのですから]
では問うが,2chはそこもと等よりもそれ程下等なのであるか.
では拙者の後を受け賛同を示した”おっさん2号”殿を2chで突如誹謗したのは,
何者か.経過から申してそこもと等の手の者ではないのか(たれがそれであるか,大方は判るが).
せめて何故此処と同じ名を名乗れぬのか.
卑怯な物言いは止めよ.

232おにぎり:2004/06/08(火) 06:38
>>229

古本さがしは、こちらが便利です。ご参考まで。
http://www.kosho.or.jp/index.html

233M_I:2004/06/08(火) 23:35
>>230>>232
毎度毎度すいませんです。今日入手しましたので読んでるところです。
古本も探せばあるもんですね(笑)。根気がないのだな・・・。

>>231
詳しい事情は知りませんが、取りあえず自分は2ちゃんねるはまったく見に行っていない
ので関係ないでしょうね。事件関係のサイトは見るのも書くのも無限回路だけですから(今のところ)。

234M_I:2004/06/09(水) 00:48
>>233
無限回路→無限回廊

235235:2004/06/10(木) 00:28
無限回廊の事件紹介記事の冒頭。被害者が次女という間違いは
できれば早く訂正してもらいたい。

236235:2004/06/11(金) 21:51
さっそくの訂正ありがとう。
ところで主宰者は今でも殿岡説支持なのかな?

238おにぎり:2004/06/22(火) 19:35
鎌田本、結構評判がいいようです。

読売ほかローカル紙若干で紹介されました。amazon.comでラン
キング800台をキープしています。
この本によって、「狭山事件」にはじめて接する人もいるかと
思います。広がりを期待しています。

239おや?:2004/06/23(水) 15:57
237が消えている…


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