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女子高生コンクリ詰め殺人事件

101M_I:2004/04/19(月) 23:49
自分は昔そうだったのですが、あまり嫌な出来事にばかり浸っていると毒されてしまい人々が創造するもっと良いものが見えなくなってしまいます。
「今俺に死ぬほどムカついてるアイツが俺を殺さないのは刑務所に入りたくないからだ」というのは人間不信の症状でしょう。
猿が猿を殺さないのはボス猿に報復されるのが恐いからだということにもなりますね。猿は仲間が多いほど自分の生存の確率が上がるのでしょう。
集団社会では自分の立場を考えたり人に依存すること、他人を生かすことによって自分も有利になれるという利己的な戦略もある環境です。(ここで鬱になりそうですが人は普段そんな事を考えて生活はしていない)
殺人を犯しかねない人格(予備軍)には抑止力がとても有効であることには賛成しますが、
正常とされる残りの9割強の人々もまた同じであるというのはちょっと疑問ですね。
ちょっと主観的に想像してみましょう。人類はこれの結論を下せるほどの科学的な駒は持っていないですから。
例えばあなたが激情に駆られている時、過去の痴話喧嘩の経験を思い出すかもしれない。
「あの時は金輪際コイツとは口を利く事もない」と強く思っていたが時が経つにつれ熱も冷め「あれはえらい極端だった」と我に返る。
これにより自分の中に”一時的なもの”があり、それに支配される瞬間があることを学ぶ。
今俺はクソむかついてはいるが、後になれば下らん事と感じるかもしれん。いつまでもこいつに関わる必要もないだろうと。(避ける行為
この例でも総合的判断の一端に抑止力がチラつく場合があるでしょうが、少なくともそれ以外のものもあるという事に注目してほしいですね。
この辺を学べない(要は非は絶対的に自分以外にあるとしか思わない)連中は、車がぶつかった程度の争いでも殴り殺すことでしょう。
また”自分”と”それ以外”しか判別できないため連中は事故以外のところですでにイラついていたのなら、その別の怒りをも拳に込めこの人物を殴ることでしょう。(激しく迷惑
殺人衝動は精神活動ですから精神的に学べる者は抑止力のみで制御される訳ではないです。上の例は簡単ですが紐解けばもっと複雑でしょう。
しかし・・・どうも書いてる途中に人が良識を学ぶ取っ掛かりに法律的規制はとてもよく機能しているっぽく思えてきたのでどっちとも言えなくなってしまいました(笑
まあそれと普通の人々に対しての刑法の働きはそれこそ復讐に至るような極限状態に限られるでしょうから、仇討ちも殺人ならまあ仰る通り・・・なのか??
体制をとるには全ての殺人を否定せざるを得ないので賢い人々は泣きを見・・・うー、死刑制度スレの方向になってきた。
今世界で起こっているものはこれにそぐわない暴走行為です、ブッシュも含め。終わり。(閉め切れてない感有り余るほどに


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