したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

死刑制度についてひと言お願いします

4322紫煙狼:2012/11/19(月) 22:49:49
トロッコ問題で、倫者さんは「レバーを引かない」を選択しました。
その結論自体は、はっきり言ってどうでも良くて、重要なのは選択した理由です。

倫者さんは「多数を助ける」とか「少数を助ける」という片手落ちの選択をする事は
「別の価値観からの反感を買うから間違っている」と説明しました。

「AだからBだ」が真ならば「AでなければBではない」も真となるのが論理の基本です。
つまり「別の価値観からの反感を買うから間違っている」なら
「別の価値観からの反感を買わなければ間違ってはいない」となります。

方法は二通りあって「別の価値観からも理解される選択をする」もしくは
「別の価値観を存在させない」という方法があるわけです。
「必ず多数を選択する」とか「必ず少数を選択する」とか「何もしない」とか
どの選択肢を取るにしても、別の価値観さえ存在しなければ「間違ってはいない」となります。

同時に、例え倫者さんが独自の倫理に基づいて行動していたとしても、
別の価値観が存在すれば「別の価値観からの反感を買う」から「間違っている」のです。
これは、倫者さんがそういう説明をしたのですから仕方のない話で、別に意地悪ではありません。

次に、倫者さんは自分が何もしない事を「その責任は無いから」と説明しました。
しかし、これは明らかに詭弁に過ぎません。なぜなら、その責任がある立場に在っても、
倫者さんは自己の倫理に従い「責任を放棄し何もしない」を選択するのが明白だからです。
つまり「その責任は無いから」という説明は、その場しのぎの責任逃れに過ぎません。

しかし、ある一定の事実は含まれていて、確かに「その責任さえなければ何もしなくてよい」は
肯定されるべきです。たまたま居合わせただけの人が責任を追及されるべきだろうか?と
言う問題です。

そこで、倫者さんの立場をより明確にするために、以下の設問にお答えください。

トロッコ問題で、倫者さんはその場に居合わせ、自分の倫理に従って「何もしない」…。
つまり「あっしには関わり合いのねぇこって」と木枯らし紋次郎を決め込んでいたところ、
またまた通りすがりの私がレバーを引こうとしました。

倫者さんは私の行動を咎めるのですか?止めようとするのですか?

私の行動を咎めたり、止めようとした時点で、倫者さんは「関わり合い」が出来てしまいます。
つまり、結果に相応の責任を持たざるを得ないと言う事です。それが別の価値観から反感を
買うものであれば、倫者さんの行動もまた、倫者さんの理論によって自己崩壊します。

逆に、私の行動を咎めたり、止めようとしないと言う事は、私が独自の考えで結果に関与しようと
することを認めると言う事になります。つまり、倫者さんの倫理に反する行動を制止しないのが
倫者さんの倫理であると言う事になりますから、死刑存置に異を唱えるのも倫者さんの倫理に
反する結果になってしまいます。

つまり…倫者さんの倫理では、何一つ説明できないと言う事です。
(もちろん、倫者さんが、ご自身の考えに溺れ、陶酔するのを咎める意図はありません。)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板