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死刑制度についてひと言お願いします
4006
:
紫煙狼
:2012/10/30(火) 00:32:51
実は私は「死刑意思カード」に相当するモノを持ち歩いています。
A4用紙3枚程度の意見陳述書として書いてありますので要点だけを書き出すと、
私が悪意による刑事事件に巻き込まれ、加害者を死刑に処すべきか否かの判断に
迷う事態の場合、私は被害者当人の立場から以下意見を上申する。ただし、本稿は
参考意見の一つとして利用されることのみを強く望み判決を制限する事を意図しない。
・加害者がいかなる人物であろうと、矯正・更生を信じ、死刑判決に反対する。
・加害者がいかなる動機、いかなる事情で行ったものであっても上に同じ。
・ただし、他にも被害者が居た場合は、それら被害者の意見も同等に扱われたし。
・加害者の反社会的行為の度合いや社会への影響を鑑み、取りうる最大限の寛大な処置を切望する。
・加害者へは結果に対する責任の重さを深く反省し、残りの生涯を社会に貢献する事で償われたし。
なんて感じですかねぇ。他は延々とこのような結論に至る根拠を書き連ねています。
そもそも刑事裁判と言うのは被害者のためにあるものではないと考えています。
被害者や被害者遺族が加害者にむしろ感謝していても罰するべきは罰するべきですし
被害者や被害者遺族が加害者をどんなに憎んでいても罰してはいけない場合もあります。
検察官は国家(社会)の代理人であって、被害者の代理人ではありません。
裁判で加害者(被告人)に罰が下されるとして、それは被害者のかたき討ちや
仕返しであってはいけません。あくまで社会がその被告人の反社会的行為に対し、
どのような罰を求め、どのように処するかが最重要です。被害者や遺族の心情を
斟酌することは百歩譲って認められるとしても、それを中心視する事も最重要視する事も
認めるべきではありません。
では、なぜ、そんなものを持ち歩くかと言うと、現状の日本では判決理由に被害者感情を
援用しすぎであると考えるからです。言い方を変えると、被害者や遺族の心情を勝手に斟酌
しすぎであるとの思いが根底にあります。
つまりですね、私が殺された。でも何一つ書き残していない。そうなると、さも私の遺志を
代弁するかのように「被害感情を考えると被告人には極刑以外の選択肢はない!」とか、
「加害者が死刑になれば紫煙狼もうかばれるだろう」などという、私の思いとは真逆の方向で
斟酌されるのを嫌っての事です。
そりゃぁ、私の加害者に対する恨みは凄まじいものだと思いますよ?それこそ未来永劫、
加害者が生き続けている限り夢枕に立ってやろうとさえ思う。でもね?それと加害者を
死刑にするべきと言うのは、やはり別問題なんです。
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