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死刑制度についてひと言お願いします
2259
:
無精髭
:2009/07/09(木) 01:25:04
>>2249
私の筋書きでは次のようなオチがつきます。20発同時命中で要人の
頭部が弾け飛んでしまい捜査当局がおろおろしているところへ
暗殺者全員が自首して来る。そして容疑者20名を取り調べている
うちに、ある者のクライアントが、もしくはある者が所属している
組織を束ねているボスが、実は同じ人物であり、容疑者20名に対し
個別に暗殺を指図していたことが明らかとなった。(閉幕)
…我ながらシュールな内容だと思いますた。(スレ違い失礼しました。)
>>2251
>「死んでお詫びする」という表現がありますけど、死刑はこれを犯罪者に強要する制度なんじゃないかなあと。
ある者が取り返しの付かない不始末を仕出かしてしまった場合に死ねば詫びたことになるのであれば、
別の者が彼を殺したら詫びさせたことになる、という理屈でしょうか。私見では、自死と他殺は明らかに
異なる事象でありますから、生命の消滅という点で繋がるにしても、詫びを入れるという点では同じ結果
には繋がらないと思います。大体私には、死ねば詫びたことになるのだと思い込むことと、「死ねば詫びた
ことになる」と言って自殺を強要することの間では、詫びを入れることについて微妙に意味合いが異なると
思われる位ですから、自死と他殺の両事象にそこまで明確な相違があるのなら、当然気になって仕方がない
ことですね。
・死ぬ→詫びる
・殺される→詫びさせられる
たとえ「死んで詫びる」ことが可能だとしても、殺されてしまえば「詫びた」ことにはならないわけです。
「詫びさせられた」ことにはなろうとも。殺すことで詫びさせるにはどうしたらいいかというと、
・死ぬ→詫びる
なので、
・殺される→死ぬ→詫びる
というふうに、当人の意思(「死ぬ」の部分)を介入させることで死刑に対して受動的だったのを能動的に
変えるだけ好いです。
犯罪者は死刑に処されることで詫びたことになるのだと多くの日本人が本当に考えているとするなら、
その多くの日本人にとっては犯罪者の心の中のことなどどうだっていいということになりそうですね。
>>2061
>ちなみに、日本も平安時代は長らく死刑が停止していた時期がありました。
そうそう。こちらにレス致すのを失念しておりました。ネットの死刑議論を観ておりますと、たまに出てくる
話なんですけど、ホントかね、といつも思っておりました。で、下記のリンク先の記事(特に、「死刑廃止の謎
本当に死刑は執行されていなかったのか?」)をお読みになれば納得戴けるのではないかと思いますが、
http://www.geocities.jp/aphros67/020800.htm
この頃の日本は予想に違わず、事実上の死刑停止状態ではなかった模様ですよ。現代とは統治体制も刑罰体系も
異なるわけですから、lovelessさんが仰ったような現在の日本と平安時代の日本を比べるよりも(地理的に同一の
国を歴史的に比較するよりも)、同時代において日本と他の国を比較する方が有意義な気がします。もし現在の
日本と過去の日本といった歴史的な比較をなさりたいのであれば、比較対象には近代化した時点からの日本を
お選びになることを強くお勧め致します。近代化や近代国家というタームを共通項にすることで、死刑制度に
関する比較はより有意義なものになるかと思います。
ところで、死刑執行が停止されていた時期は代わりに流刑が行われたりしたようなので、その時代において流罪
がどのように捉えられていたのか気になったので、ちょっと調べてみました。
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2003/030606.html
>(略)日本では流罪はすなわち、共同体からの追放による社会的生命の剥奪を意味していたと考えられている。
ということはです、その頃は自国といっても今と比べて外に広がりを見せるような大規模なものではなく、内に
こもるような小規模なものだったわけです。そして、今のように自国の外はすなわち他国というような決まりも
事実もなく、ある国或いは共同体と別の国或いは共同体との間には手付かずの空間があるのが当たり前だった
ということです。社会的隔離という点で比較しても、その頃と今とでは正反対であり、今は自国の内部での
拘束状態・無力化を意味するのに対し、その頃は自国の外部への追放や自国内での名誉剥奪を意味していた
ということになるでしょうか。まあ、流刑地の罪人に対しては、現在社会的隔離した上でやらせることと同じこと、
すなわち強制労働を科していたとのことですがね。
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