したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

死刑制度についてひと言お願いします

2240紫煙狼:2009/07/05(日) 20:30:30
「応報」とは「何かよろしくない行為」を行った者に「罰という苦痛を与える」という意味ですよね?
従って応報刑主義では「罰の内容は一般的観点から見て苦痛であること」が必要となるかと思われます。
たとえば「百叩きの刑」が現存するとして「百叩き」は一般的に見て耐えがたい苦痛ですから、たとえ、
その刑の受刑者が被虐趣味の持ち主で、叩かれると喜んでしまうような者であっても、そんな例外的な
事例はあまり考慮する必要が無く、あくまで一般人から見て苦痛であれば事足りる。
同様に、死刑になることを望んで犯罪を犯すような特殊な例を深く考慮する必要も無く、あくまで一般
的に見てこの上ない苦痛であるだろう死刑を課す事で「応報」は実現するのですね。そして、応報が
刑法のベースであると定義し、その上に抑止効果だの更生教育だのを築きあげるのであれば、逆に、
抑止効果だの更生教育なんてものは無くても、そんなものは成立し得なくても、ベースである応報さえ
実現できれば、最低限の刑法の役割・目的は果たされたことになる。

抑止効果だの更生だのってのは、オマケみたいなものだから、それも実現できれば越したことは無いが、
それが刑法本来の役割・目的ではないよ、と解釈していいのでしょうか???


もし、上の解釈が正しいとしたら、刑法によって齎される世の中は「犯罪の無い世の中」ではなくて
「犯罪者が痛い目に遭う世の中」ですよね?それって即ち私たちの求める世の中でしょうか???
なるほど「犯罪を犯しても痛い目に遭わない世の中」ってのは不条理に過ぎる面はありますが、本当は
大多数の人が「犯罪の無い世の中」を夢見ているのではないでしょうか?既に起きてしまった犯罪を
何らかの形で処罰しなければならないのは当然としても、その処罰には「こんな悲しいことが二度と
起きません様に」という願いがこめられているものだと思うのです。
そして、基本的に「立法」は起きてしまった犯罪を基に後追いの形でなされるのが普通ではないでしょうか?
「人道徳的に許されざる問題が発生したが、罪罰法定主義の下、それを処罰する条文が無い」という悔しさ
を基に「今後、二度と同じ間違いを犯す者が現れないように」という願いの下、刑法の新条文が立法され
るのであって「今度、同じ間違いを犯す者が現れたら処罰することができるように」立法するのではないと
思うのですね。(もちろん、立法した以上、同じ間違いを犯す者が現れてしまったら処罰しますけど。)

つまり、司法の現場を目指すトーフさんにとっては、起きてしまった犯罪をどう処理するかが重要だから
究極までそぎとった場合に「応報が実現すればそれ以上は求められても困る」のであって、司法の現場と
程遠い我々一般市民はむしろ「犯罪が起きてしまったら困る」のです。既に起きてしまった犯罪以上に、
これから同様の事象が起きないようにどうするのか、どうしてくれるのか、の方がより重要なのです。
これはね、法学上の通説なんてどうでもいい話で、むしろ、この望みを満たすことのできない通説なんて
世間知らずの学者のうわ言でしかないわけです。無知と言われようが蒙昧と言われようが、望みはそこな
んだから仕方が無いんです。我々の望みを、平和への願いを満たせない学者なんてのは要らないんです。

従って、ある罪に対して刑法上は死刑にすることが出来ないと分かっていても、同じような犯罪が二度と
起こらないことを願う人々の心は抑止効果を高めるために「厳罰化」の傾向を持つのだと思います。
最近では「危険運転致死傷」なんてのは最たる例だと思いますし「危険運転致死傷」が制定されたにも
かかわらず、それが援用されない限り、実際の抑止効果につながらないから「なして業務上過失致死なのよ」
と号泣するのであって、厳罰化を求める声は必ずしも応報を求めるのではなく、実効的抑止効果を求める
声であると私は解釈しています。でなければ…「どうせ犯罪はなくならないんだから、犯罪者を少しでも
重い罰に処してやればいいんだ」なんて、あまりに悲しすぎます。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板