[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
4901-
5001-
5101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
死刑制度についてひと言お願いします
1968
:
無精髭
:2008/09/18(木) 01:33:03
で、本村氏の話はとりあえず脇に置いといて、しつこいようですけど、
まだ腑に落ちないというか、喉に小骨が刺さったような感じがするのが、
>同害報復論とは(中略)社会とは無関係な個人対個人、家対家というような構図です。
の箇所です。要は、釣り合いの取れた関係でなければ同害報復は為されえない(同害報復の原理を
論じることは出来ない)ということなんでしょうが、物分りの悪い私なんかには、そうとは限らない
んじゃないかと思われるのですが。
例えば、
個人A→(国家・共同体)→個人B
1 ‖ 2
肩代わり?
(民主主義体制では、個人間における媒体?)
※死という同害を国家が反動的に齎す場合、「1→」と「2→」は危害の形(結果)が同じであれば、
質的には異なっていても(簡易化されていても)構わないと思います(シェンロンさんの仰る同程度害報復)。
の様な場合は、死刑の場合にのみ限り、同害報復の原理に従っているとは見做せないものでしょうか?
更に申せば、過去にはハンムラビ法典を掲げたバビロニアも現代における「国家」概念から外れるにしろ、
一応君主が治める「国家」といえるでしょうし、現に同害復讐法(タリオ)を掲げているイランのような
国もあるようですから。もしかすると同害報復というのは、Kenさんご指摘の構図では収まり切らないのでは
ないでしょうか。少なくとも、報復という一連の事象に国家を介在させても(関係させる位なら)、解釈上、
問題がないのではないかと。否、事実上、問題はあるかも分かりませぬが。
因みに、江戸時代の敵討も、決して個人対個人、家対家の関係で万事が処理されたという訳ではなくて、
ちゃんと時の幕府に法制化された上で容認され、敵討の当事者はその細かい決まりごとを守るように
言い渡されていたらしいですね。敵討を当事者間の問題として見るなら、「目には目を、歯には歯を」の
同害報復というよりは、寧ろ西欧の決闘に近い気がします。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板