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死刑制度についてひと言お願いします
1936
:
無精髭
:2008/09/07(日) 15:35:14
否、若しかすると、入江さんは人が生まれて来た後のことも考慮に入れることで、かなり広く
性善説若しくは性悪説を捉えておられるのかも知れません。つまり、俗に言う、「人間は3歳
までの環境・経験で全て(安直に言わせて戴きますが)が決まる」というような考えを取り入
れる事で、2つの説を両立させようとなさっていらっしゃるのではないかとお察し致します。
ただ、そうなりますと入江さんが考える「人間」とは、そもそも道徳的本性と言う観点から
すれば、普遍的なものではないということになりそうですが。だって、先のような決定論に
よって道徳的本性が後戻りが出来ないものとして形成されてしまうとされているのですから。
シェンロンさんが仰る可塑性が人間には認められないと主張しているようなものです。それが
優生学とか選民思想ではないのだとすれば、人間が生まれる前後のどこかの時点で、道徳的
本性に個体差がない状態が存在すること(即ちその点で各人に違いがなく皆同じであるという
こと)を指摘する必要がある筈です。でなければ、入江さんは普遍的人間像というものに
懐疑的であると考える他ありません。私としては、その理由を詳しくお聞かせ戴けるので
あれば、その現実性の有無など問わずとも、それでも好いと思いますけれどもね。何故と
言って、私自身が普遍的人間像とやらに懐疑的であるからです。
話が逸れました。私の勝手気ままな理解では、要するに入江さんは人間を贖罪という局面に
限って申せば、明確に2種類のタイプに分けておられるということで宜しいでしょうか?
多分、実社会での生活ではその区別は明確には現れないのでしょうね。
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