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死刑制度についてひと言お願いします
1926
:
入江
:2008/09/02(火) 16:18:24
ちなみに宗教と罪に絡む私見を書かせていただきます。(大風呂敷すぎますかね…(^^;)
不勉強なので違っていたらご指摘下さい。
贖罪というものは、仏教圏では絶対に一生終わるものではありません。
キリスト教圏では懺悔すると贖罪のための方法を示され、
それを行えばその罪について許される、という一定の筋道が存在しますが
(もちろん贖罪の方法にも色々あるでしょうが、基本的には同じ人間(聖職者)が決めていますね)
仏教圏において罪を許すのはあくまで仏様サイドの話で、
庶民からしてみれば、どうやったら許されるかは一切不明です。
とりあえず現世で頑張りなさい、というおぼろげな指示があるばかり。
「償おうと頑張ったのに!ごめんって言ったじゃん!」って言われても
そんなの知らんよ、俺たちだって頑張ってるのに八つ当たりすんな、と思うのが仏教圏の庶民。
昔の刑罰が一生消えない刺青だったりする国は、基本そういうメンタルなのではないでしょうか。
犯罪者の子どもに対する迫害は、過剰な集団心理のなせる業で大変恥ずかしいことだと思いますが、
そのような自らの性向全体そのものが恥ずかしいことなのか?と問われれば、それは違うと思います。
それが現在の、キリスト教圏で生まれた法制度や正義という概念と矛盾するものだとしても。
罪を許すというスタンスは日頃の修業の高みからの、貴重な大きな言葉です。
それでも私のような庶民は、やっぱり悪いことした奴には塩をぶつけます。
「償おうと頑張ったのに!」は再犯の理由になどなりえない、と。
法が世間の感覚と乖離するというのは、もしかしたらこのあたりも関わっているのかもしれませんね。
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