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水戸斉昭と楽しい皇国史観

1大室寅之スレ:2003/06/24(火) 16:44
皇国史観って
幕府を倒す=革命的意義が起きたって言ってる(w

まるで唯物史観のようですね(w
ていうかそのものだったりして。その正体は

2大室寅之スレ:2003/06/24(火) 16:45
皇国史観はシナ直輸入のまがい物!!

3大室寅之スレ:2003/06/24(火) 16:45
 逆臣の汚名を受け簒奪政権下で、維新を生き延びた旧幕臣達の苦難は、
我々が現在抱えているそれらより、遥かに巨大だった筈です。明治維新
の際、我ら東国を愛するアズマ至上主義者は、上野の山でたたかい、
長岡で戦い、会津で戦い、蝦夷地で戦いました。
 せまりくる簒奪者、蛮族、えせ南蛮人と、徒手空拳に等しい力で戦おう
とした我らアズマの徒は、どう見ても現在の我々よりも悪かった。
 しかるに、劣勢を知りつつも、我らの父祖は戦い戦場に散っていきました。
それはなぜか?それは、みな、愛すべき郷土を、蛮族ヤマト族の馬蹄下に
踏みにじられるのが耐え難かったからです!
 結局、アズマの志士の戦いは成就することなく終わりましたが、我らアズマの
志を引継ぐものたちが、いまこそ明治簒奪政権を打倒し、アズマ未来近代を切り
開くべきでしょう。

 我々も、新撰組のように、この命燃え尽きるまで戦おうではありませんか。
我々は国事に奔走する志士であって、志士に絶望は不要なだけでなく、許されない。

4大室寅之スレ:2003/06/24(火) 16:46
「東北は田舎で何もない」というイメージをなんとなく持つ日本人は多い。
実際テレビ等で東北弁や田園風景を視聴すると、「田舎臭い」もしくは「日本なのか?」という
イメージを持ってしまう人が多いであろう。
では一体、このイメージとは何処からやって来たものだろうか?
理由も無しに普段何も考えずになんとなく思ってることには、やはり理由がある。
このイメージは「蝦夷感」と呼ばれる蔑視感情であり、かっての古都と関係がある。
また、関西地方が差別意識の強い地方であることも関係している。
東北蔑視の大元は古都である京都や奈良にある。これは畿内から見て、東北方向という鬼門にあったためなのだ。
当時の東北地方は、畿内とは別の文化があったのであるが、大昔は蛮族の住む場所とされていた。
当時何度かあった蝦夷征伐は、当時の朝廷が、当時中国で流行っていた中華思想や易占を猿真似した害に他ならない。
我等こそが中心で、異文化を持つ民族は蛮族で夷であるいう発想は中華思想から、東北という不吉な方角は征伐すべき場所というのは
易占から得た発想である。東北地方の受難は続く。
その後は源氏による奥州平泉の滅亡があり、江戸幕府は強大な経済力を持った伊達藩・東北諸藩を恐れ、
参勤交代・ロシアに対する北方警備等により衰退に導いている。

5大室寅之スレ:2003/06/24(火) 16:46
近代以降は、薩長新政府による意図的な開発の遅れにより、田舎の代名詞になる。近代化に取り残されたのである。
これは、東北地方は新政府に反抗した地域であり、東北出身者は政財界の要人になれないケースが多かった。
また、植民地であった朝鮮半島や台湾、北海道に投資する事情もあったようだが、
もしかしたら新政府に反抗した見せしめのために、
植民地より開発を後回しにされた事も多かったかもしれない。
ただ、仙台市が「第2都市」と呼ばれる程、第2師団や東北帝国大学等の国家機関が東京等の次に優先配置された動きもあった。
これは新政府内や大久保利通の影響による、国内開発派の影響による者かもしれない。
しかし結局、この動きは圧殺され、東北地方は、首都圏等における労働力供給源・食料供給地という位置付けとなり、本格的な開発は戦後を待たなければならなかった。

現在は、県民所得や高速交通網等、九州や四国を上回るほど経済的に発展したが、未だに政府は東北地方に、歴史的に見ても負い目やツケがある。
それは豊かだった東北地方が、歴史的に相当搾取され、衰退したからだ。
日本政府は、一時期を除き日本の歴史おいて相対的に豊かであった、東北地方の現状と名誉を回復すべき義務がある。
戦後から現在まで、不況にも関わらず他地域の開発を辞めてでも、東北開発を優先する理由がここにあるのである。
特に関西地方の京都・奈良から徴収された税金の全ては、「東北交付税」として東北地方の開発に当てるべきであろう。
東北地方衰退の原因を作ったからである。関西地方は、東北地方に対する「歴史的ツケ」を払う時期に来てるのだ。

6大室寅之スレ:2003/06/24(火) 16:47
皇国史観の始りは水戸藩主徳川光圀が支那人亡命者朱舜水を水戸に招いて師としたこと
にある。光圀ら朱舜水の弟子達は舜水の影響で支那を理想の国家と考え、全てに支那
スタンダードを当てはめようとした。

その水戸藩が史書を編集することになった。支那絶対、支那理想視で書かれた歴史書だ。
(ただし明朝が滅亡し、現実の支那は蛮族に支配されるようになってしまったので、
この支那は理念としての支那だな)

水戸史学では日本と支那と少しでも違うところがあれば、それは日本の独自性ではなく
日本の後進性とされた。(まるで自虐的戦後民主主義者だな、水戸学派って)

で、日本の歴史と支那の歴史とどこが一番違うのか?幕府の有無である。だから水戸学
では幕府を朝廷に従属するもの、将軍は天皇の家臣と考えた。これが後に幕府を倒す
ことになる皇国史観の始りである。

だが朝幕体制とは権威と権力の分離であり、これは神聖ローマ帝国の教皇と皇帝の関係
やイスラームの大将軍にも見られる制度である。近代立憲君主制においても権威と権力
の分離が図られている。しかも日本人はこの制度を独自に考案したのであって誰かの
物真似ではない。

(これに対し古代の天皇制律令国家は随・唐の猿真似。近代天皇制は西欧列強の
猿真似。なぜ天皇や天皇を担ぐ連中は猿真似しか出来んのかね?)

幕府を軽視し、ついには敵視するに至った皇国史観は、支那の皇帝制度を理想視し日本
の独自性を認めようとしない思想の産物に他ならず、これこそ元祖自虐史観だ。


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