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大室寅之祐が明治天皇になったと言える勇気を持とう
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:
大室寅之スレ
:2003/02/26(水) 02:15
「明治42年に伊藤博文が暗殺されたが、その翌年に南北朝いずれが正系かという史論が生じたときに、明治天皇は自ら乗り出して南朝正系論を正しいとした。
しからば、孝明天皇までの北朝は偽朝であるということになる。」
「昭和四年二月、宮内大臣田中光顕が「実は明治天皇は孝明天皇の子ではない。孝明天皇はいよいよ大政奉還、明治維新というときに急に殺されて崩御になり、世間には、明治天皇は孝明天皇(北朝系)の皇子であり、母は中山大納言の娘、中山慶子様で、お生まれになって以来、中山大納言邸でお育ちになったということになっており、御名を睦仁親王といい、父である孝明天皇崩御と同時に直ちに大統を継いだことになっているが、実は、その睦仁親王は暗殺され、これにすり替わった明治天皇は、後醍醐天皇(南朝系)の第11番目の皇子光良親王の子孫で、長州萩で毛利氏が守護してきた。薩長連合には、この南朝の末孫を天皇にすると言う密約があり、これが王政復古御一新を志した勤皇の運動である。」と述べている。
このすり替わった人物が、周防麻郷村麻里府(現山口県田布施町麻郷)に住んでいた大室寅之祐=明治天皇であった。
これを知っていた安政、万延、文久生まれの老人たちは、明治天皇のことを奇兵隊天皇と呼んでいた。 (このことは近衛文麿、李方子、岸信介首相なども知っていたようだ)」
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