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ネットの議論ってそもそも意味あんの?
60
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/27(木) 04:49:33
イカフライさんのお考えについて。
・ネットは安全圏である(ここで対立しても、命は取られない)
・安全圏で人命軽視した意見を言い、優位に立った気分で自己正当化をするのは正しくない。
これを踏まえると、
・反戦の答えを求めているなら、戦場に行き、被害者とともに戦災を経験し、そこから(ネットに接続されていない、危険区域から)声を挙げる以外は許されない。
ということになるんですが。さらには、
・それができないなら反戦について口を挟むべきではない。
というニュアンスも内包していることになりますが、「戦地で爆弾を浴びない限り、反戦を口にするのは烏滸がましい、お前は黙れ」というのがイカフライさんのお考えなのですか?
まさか違うと思いますが、「イメージ操作(藁」じゃなくて、
>>56
最後からふたつめのパラグラフにある情報から、【真意】を類推するとそうなってしまいますよ。
A「命を賭けないと何も言ってはいけない」
B「命を賭けた人間の主張は、掛けない人間より優先されるべきだ」
C「命を賭けない人間の主張は軽視されてよい」
これは、表現は違いますけれども、意味する所はほとんど同じなんですよ。
でも、受け取り方によっては全然違うニュアンスで受け取られますよね。同じ言葉から違うニュアンスが伝わってしまうということは、それは情報伝達としては不完全である、ということです。
だから、「そうじゃない」「私が言いたいのは」「それは違う」と、補足を付け合うことになるわけで。その補足を付け合って、本来の主旨ができるだけ伝わるように努力するのが議論であり対話でありコミュニケーションであるわけで、互いの言い分に関する齟齬が少しでも減れば対立の因子は減るのではありませんか? 戦争の多くは不信と誤解から発生すると言われますしね。
私はそういう「対話、議論を疎かにすることによって、不信と誤解を放置し、思い込みで相手を罵倒し、自分を正当化しつつも相手にそれを伝える努力を放棄すること」が平和から遠のかせることになっていると考えています。
ですから。
こうして「話す事を辞めない(ただし、自分の生活が許す範囲で)」という態度を採っているわけです。
が、この「自分の生活が許す範囲で」という条件に対して、「それは誠実ではない」「無責任だ」「安全圏に」と言われてしまうと、お互い困るでしょ?
「完全な利他行為は不可能である」とわかっているけど、「正当化はしたくない」から、「不可能である」と指摘した人間に噛みつくというのは、おかしいでしょう。
そして、繰り返しますけれども、私は「完全な利他行為は不可能である。けれども、個人の都合の許す範囲でするのは可能だろうし、その許す範囲は個人によって違うのだから、それは尊重する」と言ってるんですよ。
あなたの理想も、あなたの事情も配慮する、と。
「完全な利他行為は不可能である」けれども「不完全な利他行為なら可能である」と。これもどちらも指摘してることは同じなんですよ。文言は違いますが。
同じ内容でも言い換えることで可能性を広げることはできるんです。
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