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115大神:2006/03/18(土) 01:55:27
>>112

>ただ、「無限の退却は非現実的であり、譲歩による時間稼ぎは永久にはできない」
>「自分が席を立たないからといって、相手を恒久的に席から立たせないのは不可能に近い」
>という反論も成り立つわけで、ベターではあるけれどもベストとは言えない方法だということは、
>前述の意見を述べられた方もどこかで気づいておられる様子でした。

 前提が 「相手には交渉を続けないという選択肢が無い」 からスタートしている
時点で非現実的ですからね。もしそういう前提が成り立つならば、そもそもそれは
誰に対しても自分に対して適用出来るわけで、そうなると既に世の中には戦争という
ものがなくなっているはずですからね。

 そう考えると既に前提が間違っている点からスタートするのではなくて、
今の現実の前提からスタートした思考するべきなのですが、その手前で思考停止
をされるとどうにも話が続けられないですね。

 で、思考停止を止めると次は《手段の一つとしての戦争》と考えが及ぶの
でしょうし、武力行使も他手段との結果の相対比較から判断すべき手段の一つ
となるのでしょうが、ここまで考えが及ぶ人は絶対平和主義というのは単なる
手段の目的化と気付きますね。

 手段を目的化しても結果が惨憺たるものなら害でしか無いわけですが、思考停止
している人はその点を考えるのを嫌がりますし、それを指摘されるのも嫌がりますね。

 ただ、最初から手段を目的化しているならいいのですが、それこそクェーカー
教徒のように絶対非暴力を掲げていればそれによって自分が死ぬことは殉教であると
絶対的な価値を確立されているならいいのですが、

ただ日本の場合は 空襲で焼けた町 を見せて「戦争はいけないね」と持って来て
いて平和が大事としているのですが、これは既に 戦争をしない をあくまで手段の
一つにもっくる考えに立脚しており、それで平和がもたらされる
(「戦争をしない」=手段、「平和になる」、「人が死なない」、「町が壊れない」
=目的)としている点が大きな矛盾を抱えていますね。

 この点がクェーカー教徒のような確信的殉教者と違う点ですが、残念ながら
日本の絶対的平和主義者の場合はこの大きな矛盾を無視している点が根本的な弱点に
なっていますね。

最初から「絶対平和主義で悲惨な目に会うこともあります。それでも覚悟しましょう」

とすればそれはそれはでまぁ覚悟があっていいのでしょうが。


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