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女帝問題
64
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/02/25(土) 16:27:48
>>63
ここでは、「権威そのものに善悪があるのではなく、権威の運用者/利用者に善悪がある」
ということを繰り返し申し上げています。
車が悪なのではなく、ドライバーに善悪がある。
包丁が悪なのではなく、その使い方を決めている個々の人間に善悪がある。
この視点に立って、「権威そのものに善悪があるのではなく、その運用者に善悪がある」と
考えるべきだ、と繰り返し申し上げているのです。
友引さんは権威そのものに功罪があるとお考えのようですが、私は「権威の運用者に功罪
があるのであり、権威にその責を着せるのは正しくない」と考えています。
戦争を始めなければ終わる必要もないのは当たり前のことですが、戦争を始めた人と
終わらせた人は、同じ「天皇の権威」を担いでそれを行ったけれども、それぞれ別の人でしょう?
天皇の権威を担いで戦争を始めたのは石原完爾(満州事変を発端とするなら)であり近衛文麿(太平洋戦争を発端とするなら)です。
天皇の権威を担いで戦争を終わらせたのは鈴木貫太郎です。
それぞれ、担がれた権威は同じであっても運用者が違うのです。
友引さんは当初、「天皇の権威が戦争を正当化させる」「戦争を起こさせた天皇の権威は害である」と述べられました。
私は、「担がれた権威が害なのではなく、権威を担いだ側に害があった。権威を担いだ側に害ではない使い方をしたものもいる」と申し上げています。
日本の歴史において天皇の権威というのは、天皇自身が権力から遠のいていた期間が長かったせいもありますけれども、基本的に「簒奪者によって担がれ、簒奪者の行為/統治を日本の歴史の中において正当化するため」に存在しています。
いわば、「日本は今、誰のものか?」を示すための生きたシンボルでもあるわけですね。
幕末において、官軍と幕軍(正確には連合する前の長州と薩摩)が、権威の仲介者である公卿を味方に付けて、詔勅の取り合いをしたことはよく知られているところです。
実際、詔勅を乱発していたのは天皇という権威の担ぎ手である公卿であり、また公卿を持ち上げて導いていた公卿の担ぎ手が長州・薩摩であったわけで、まさに「権威そのものではなく、権威を担ぐ側が、担いだ権威の持つ正統性を手にする」という戦いであったと思います。
後に薩長連合が成ってからは、詔勅と天皇の権威は「官軍」に移ります。
このとき、天皇の権威を示す錦の御旗(当時は天皇がほいほいと姿を示すことができませんでしたから、天皇の権威の象徴として目に見えるものが必要だった)が、明治維新によって起きたかも知れない内戦の被害規模を最小限に抑えています。
これも天皇の権威(=日本を統治する正統性を世に示す)の効果だったと思います。
現在の「日本の持ち主」は、国民主権に基づき日本国民全員です。
ですから、天皇の権威を担ぐのは日本国民自身であり、その意味で天皇の権威を担ぐ正統性を日本人一人一人が自覚する必要はあるかもしれません。
その権威に伴って起こることを、「天皇個人のせい」と考えるのではなく、「運用者の自覚」と考えるべきでしょう。
少なくとも、昭和20年以前の天皇には、建前上の統帥権という権力が存在しましたし、内閣は天皇という主権者の輔弼者という位置づけでした。
しかし、昭和20年以降の天皇は名実ともに「権力を伴わない権威だけの存在」、明治以前の状態に【戻された】わけです。
権力を持たないことを担保するために、皇族は「誰かに何かを命じるような発言」を、極力差し控えているわけです。それが、自らの今後にまつろう皇室典範についてであったとしてもです。
現在の天皇は権力を持ちません(持たない状態を維持することに腐心されています)。
そして天皇の権威というものは、天皇個人が作り出し醸し出すものではありません。
権威として畏敬の念を感じるかどうかが、権威という実体を伴わない状態を作り出すのだと思います。
我々はもう少し「自分が今の日本の持ち主」であり、「天皇の権威を担ぐ立場にある」ということを身に刻むべきではないかと思いますね。
「輔弼者の暴走」の時代はともかく、今の天皇の権威(=日本の正統な持ち主が日本国民であるということの裏付け)を落とすも上げるも我々次第なわけですから。
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