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女帝問題

122ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/03/14(火) 07:40:21

豊田有恒あたりのSFに日本が隅田川で左右断絶され、朝鮮半島よろしく西日本と東日本に分裂してしまう話、というのがあります。
同様に、最近ではかわぐちかいじが「太陽の黙示録」で災害でふたつに分裂した日本がそれぞれ「中国に支援された北日本」と「アメリカに支援された南日本」に分かれて覇を競うという話を連載中ですね。
豊田有恒の時代は確か70〜80年代だったので天皇にはまだ触れられず、またかわぐちのほうでは災害という大前提があるため天皇の生死や存在は避けて描いているようですが、ふたつかそれ以上の日本に分裂した日本が、再び統合を目指すことがあった場合にやはり「天皇を担いでいる側が正統日本」という了解は出てくるでしょう。
天皇はいなくても我々が日本と宣言する側は、相手が囲い込んでいる天皇を根絶やしにして同じ条件にしてしまうか、自分の側も「皇室の血を引く、こちらこそ正統日本」という対抗馬を持ってくるでしょうね。

女系天皇、宮家の復帰などはこのあたりの「誰が正統なのか」という問題を喚起する危険をも孕んでいるわけです。
かといって天皇不要論を奨めればそうした混乱には拍車が掛かる。

とそうすると、結果的には100年後も日本は天皇を国民が担いでいる状態が、100年以上前と同様に安定政権が作れる、ということです。
仮に権力を用いる議院内閣制が大統領制、執政官制、太政大臣制に変わったとしても、それはこれまでの1000年以上の日本史における「ナンバー2
の交替」でしかないわけです。
天皇制廃止というのは「(見かけ上の)ナンバー1の交替」をすることにもなるわけで、そのリスクは果てしなく大きい。
日本人はそうしたリスクを望まないと思います。
日本人がそうしたリスクを望んでいたのだとしたら、過去1000年間にとっくにその変化は起きていたはずなんです。

日本が一番平和で安全だったのは江戸時代(徳川家康以降から維新までの約300年間)と言われていますが、その時代とて征夷大将軍の地位を他の大名に対して保証する天皇の権威を徳川家が担いだ結果平定されたわけですよね。
信長や木曾義仲が京都を目指したのも、長州が蛤門を目指したのもその権威の奪還だったわけで。
そうした日本史との繋がりを考えましょう、ということです。

その日本史との繋がりをあまりにも考えない人が多数派だとするなら、日本は教育を誤っていると思いますよ。
天皇を敬えということではなく、「今があるのは過去からの継続の結果であり、歴史の成果が現代である」ということを考えた場合に、その生き証人である皇室を軽視するというのはどう考えてもおかしいのです。
国民の敬愛は「人格」に対して行われるのでもないと思いますよ。実際にそのお人柄に接する機会は、我々にはごく稀です。
どちらかというと、その「境遇」に対するご同情のほうがむしろ今も皇室を敬愛している方々には大きいのではないでしょうかね。
敬宮内親王殿下を巡る発言でも、「お気の毒である」という感じ方をしている人が目に付きますし。
>>120


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