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女帝問題
103
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/03/12(日) 02:43:24
>>99
天皇制が、国民の上に君臨するシステムだった時代を見て「皇室などいらぬ」と考えてしまう方が出てくることは理解できます。
うろちいさんはその意味で「天皇が戦争を起こし、指導し、容認した。国民主権国民平等の国に、国民の上に君臨する権力などいらぬ」というお考えに立って皇室廃止論なのかも、と思います。この理解が間違っていたら補足をお願いします。
一方でうろちいさんご自身が補足していらっしゃるように、皇室が野に下ったときにどうなるか?という視点の存在はありうると思います。
戦後の皇室は「国民統合の象徴」という枠から出ないことを、皇室自身も受け入れています。
野に下る(=法律の規制から逃れる)ということになった場合、皇室の威光を担いで……と考え始める輩が出ないとも限りません。
日本の歴史は皇族/天皇を担いだものが政治的正当性を得るということの繰り返しでした。
今は違うからといって、今後も違うとは限らないわけで。
また、皇室自身がそれと意識しなくても以前として皇室が権力を持ってしまう兆しはないとは言えません(実際には潜在的な権力もあるのかもしれませんが)。
枷が外れることで、権力を持たされてしまうことになることを、皇室自身が望んでいない。だから、今の憲法下で皇室が「国民の上に君臨しない」ことを明記し、皇室を「国民または不埒なことを考えるかもしれない(=野に下った皇室を担ごうとする)輩に対する【人質】」としている現状が維持されたほうが、天皇を気に入らない人々にとっても「マシ」な状況が維持できるのだと思います。
天皇制不要論が採用されるのは、天皇に対しておよそすべての国民の中に畏敬や権威を感じるものがいなくなったときでしょう。
天皇が「日本の歴史の継続性を体現している存在」であることを考えると、自国の歴史の継続性を日本人自身が否定するときがくるとしたら、そのときに初めて歴史の継続性を体現する天皇が邪魔になるのではないか、と思われます。
曲がりなりにも現代、左翼の方や左傾化したリベラルの方の中に廃皇論があるとしたら、それは「二次大戦という日本にとっての悪しき歴史(と彼らは定義する)」と、今自分たちがいる現代が歴史的に継続していることをも保証体現している天皇という存在が許せない、ということからくるのではないかと思っています。
過去の歴史が輝かしい、もしくは誇りであると考えるなら、その時代と繋がっている存在は大切にされます。
過去の歴史が不名誉であり、忘れたいと考えるなら、その時代と繋がっている存在は否定されます。戦後ドイツにとってのナチス/ヒトラーがそれに当たりますね。でも、ナチス/ヒトラー以外の過去の時代は否定していないから、国家もそれ以前の憲法も手直しを加えながらも引き継いでいるわけですが。
「過去の悪行」と現代を切り離したい方々が、過去の悪行だと思っているその時代の体現者と継続性を持つ天皇/皇室の継続を嫌うのも、理屈としては合点がいきます。
もしくは、日本の歴史が現代に継続していること=日本という国が独立し続けてきたことに対する証拠、「継続性の体現」を拒否・否定することで得をするのは誰か、という考え方も出来ます。
天皇の正統性(正当ではなく正統)を否定し、日本の継続性を否定し、「日本は半島の弟ニダ」と言ったりする国が隣にありますが(^^;)
そうした国々が日本を自国の歴史に取りこんで考えた場合、日本独自の歴史的継続性というのは支配する上で障害にしかなりません。
だから、日本の歴史の継続性を体現する天皇に対してもっとも拒絶的反応をするのが、特亜三国だというのもまた合点がいくところです。
究極的には天皇/皇室というのは現時点での国家主権者(=国家の掌握者)であり、国全体に影響を及ぼしうる法律の庇護下、国民の管理下でその可能性/潜在的権威を制限され続けるというのが、もっとも安定した保存方法になると思います。
それについていろいろな情緒を取り付けて納得したり、不満に思ったりする方もいるでしょうけれども、日本の過去の歴史から逃げないというこの一点を今後も継承し続けていく気があるのであれば、廃皇論はその前提から含めて選択候補外になるのが自然かな、と思いますよ。
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