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靖国問題について考える

786上田 勝:2006/07/27(木) 00:42:17
仕古利人さん、こんにちは。

いろいろ背景を調べていくと、A級戦犯は鎮霊社の方に一時
祀られていたようです。おそらく筑波宮司の判断でしょう。
それから松平宮司に変わり、鎮霊社から本殿に移されました。
昭和天皇がメモの中で「筑波は慎重に対処してくれた」と述
べた部分から考えると、少なくとも本殿への合祀は望んでい
なかったようですね。それに対して松平宮司が本殿に合祀した
ことを強く憤っている。A級戦犯合祀に反対だったというのは
徳川侍従長の証言とも合致しますから、反対であったのは確か
でしょう。

さらに、日経新聞に連載された、4.28のメモ以外の記述を見て
も、富田長官と昭和天皇は頻繁に会話しており、強い信頼関係
があったことがうかがわれます。したがって4.28のメモのみを
疑う理由はみつかりません。私は昭和天皇の言葉は本物である
と思います。

ご指摘になった矛盾点ですが、日付については4月25日に記者
会見が行われたようです。実際の報道は誕生日の29日。これは
事実のようです。一時は4月28日の記者会見の内容を記録した
のではないかという憶測もありましたが、この日のメモは25日
の記者会見のことに関連して昭和天皇が感想を述べられたこと
を記録したもので、合祀に対するお考えもこのとき述べられた。
ですから、記者会見で語られた内容とは違い、よりお気持ちを
率直にのべられた内容になっていますね。

もとより、公式の会見の場での発言ではありませんし、昭和天皇
は公式の場でも戦後は「朕」という呼称は使わず「私(わたくし)」
で語られるのが通常のはずです。昭和天皇が「朕」という言葉を
使用しているのを私は聞いたことがありません。よく終戦特集
番組で流される玉音放送では「朕」を使っていましたけどね。




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