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靖国問題について考える
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>>58
>中国と同じことを日本が外国にやられたとしたら、どう思うのか。
今度は同じ「価値観」を逆方向に適用しないとするなら、「へ理屈」をこねているだけです。
甘んじて弱肉強食ルールを受け入れて外国の搾取を正当なものとして受け入れるのなら
「へ理屈」ではありません。
そういうルールは僕の「価値観」からはとても受け入れられないですけどね。
激しく同意。
で、大神さん。
>と言うよりも、死んでからも現役、予備役、召集、後備、志願、徴兵
なんて現世での差をつけられたらたまらんと思うのですが。
どーも私の言っていることが上手く伝わっていないようだが。
多分、この差は「名誉の戦死」と考えるか「無理やり戦場に引っ張られた挙句命を落とした犠牲者」と考えるかの違いじゃないだろうか?
警察官の殉職の例をあげているが、殉職なさった警察官や消防士は結果的に命を落としたけれど、「死ね」という命令を受けたわけではないよ。
けれど、靖国に祭られている人々のなかで、特攻や回天で死んでいった人達は「お国の為に命を捧げる」文字通り「死ね」と言われて死んだわけだ。
剣さんの揚げた項目に関する回答や他にもいろいろと言いたいことがあるが、その前にちょっと演説させてくれや。
日本には「滅びの美学」なんて美意識もあるし、命を賭ける、なんて言葉は格好良く響く。
けれど、戦争は決して格好いいもんじゃない、ただただ哀しく悲惨なもんなんだよ。
こーゆこと言うと当たり前のことなのに「ブサヨ」「バカサヨ」っていうやからがネットには多いが(ここではそこまでのバカは残っていないが、前にはよくいたけどね)。
命ってのは一度失ったら取り返せないもんなんだ。人間死んだらおしまいだよ。
戦争で亡くなった人々に敬意を表することは大切だ、私らがこうやってネットでうだうだやってられること自体、いかに平和な証拠だ。
けれどね、戦争で戦った(心ならずも、も含めて)人々個人個人に敬意を表することと、大日本帝国軍を美化したり、ましてや戦争を都合よく美化、正当化することはもってのほかだ。
これはA級戦犯問題とは関係無く(これについてはおいおい書くよ)将来ある若者に「死ね」といった国家がかつてこの国に存在した。
(よその国だって戦争になればそうだ、なんて小学生のいいわけみたいなのやめてね)。
国ってのはね、国民の生命と財産を守るもんだよ。
少なくともかつて国民に死ねといった過去がこの国にはあり、それを靖国神社を利用したことは事実だ。
そう考えれば、その辺の近所の神社にお参りすることと靖国に行くことは同一次元で考えて良いのかどうか?
賛成派の人は、あえてこの違い(古来からある神道と国家神道の違い)をあえて無視するんだよね。
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