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靖国問題について考える

447友引:2006/01/15(日) 12:42:37
全くごり押しの人ですねえ、大神さん。
> 歌を教えるのは簡単ですよ。そして、直前に書き込みに目を通してもらえばいい。
分からない所は「忘れた」とする。
>身分証を持ってきても意味が無い。

首相の靖国参拝を正当化できないからといって、卑劣な態度を続けないように。意見の似た代理人を探すとしても、完全に一致する人など一人もいません。60代の人物に、若造であるはず人の意見を一分の違いもなく語ってもらうことが可能だというなら、あなたが60代の人を連れてきて、あなたが言ったままのことが言ってもらえるかどうか試したらいい。
身分証明などなくても年齢は分かります。私もいくら自惚れても、5歳以上も若く見えるとは思っていません。
ここで書いている本人であることは確認され、年齢詐称でないことさえ分かればそれでいいのです。
そういえばこの頃中葉さんの書き込みがないようですが・・・・来てくれるかな?

> 私は中葉さんに話しかけているのに、何故に中葉さんの話が関係無いのか!

カギカッコの件は今までに何箇所かで私は申し上げました。
あなたが中葉さんに書いたことではなく、私が発言したとして引き出された文章について言っています。
この場合で言えば「度が過ぎている絡むのは止しなさい」と抜き出したことをさしています。
正確には「中葉さんにまで絡むのはおよしなさい。的外れの推測を『超能力』と揶揄しただけで、あなたの推測は全く当たっていません。」または、『中葉さんにまで絡むのはおよしなさい。的外れの推測を「超能力」と揶揄しただけで、あなたの推測は全く当たっていません。』と抜き出すべきだといったのです。

> 別にテンちゃんと言えるのは、昭和30年代後半でも今でも言えるわけで、だけど戦争が終わった時には
>食べるものはない、着るものもない、住む所も無い、米兵が犯罪を犯す、三国人がのさばっている、治安は悪い
> 子供を抱えた夫婦には大変な時代ですよ。

あなたは体験していない時代のことです。その時代の中の個人の生活まで断定するものではありません。
私の家では幸い両親が健在でした。戦災は受けたのですが、父がいたお陰もあって家も焼け残っていました。さほど大きくない家に、焼け出された親戚も同居していました。従兄弟姉妹たちの父親が戦死していたので、口だけ多くてウチの父母も、いとこたちの母親も大変だったのは、幼くてもよく分かっていました。
闇米の買出しに、上の年齢の子どもたちまで駆りだされていました。家の近所の焼け跡を耕した畑での畑仕事は、私も手伝いました。そんな大変な中で、とうもろこし粉のパンなどを無理に口に押し込むような食事にしろ、飢え死にするほどではなかったのは、まあ恵まれた生活の内だったと思います。
小学校での集合写真には、もんぺにゴムぞうりを履いた子たちの中で、運動靴を履いて写っていますから。
そんな中で、紙芝居の拍子木が聞こえると、銅貨をせがんで握って走っていったのです。
ま、少なくとも私の周りの大人たちは、貧しい中でも、戦前には戻りたくないと口をそろえて言っていたのです。
だけど、大人になって知ったことですが、大正から昭和の初めころまでは、かなり自由で豊かな生活だったのでしょうね。小学校も何年かになって、百貨店にエスカレーターがつきました。友だちと乗りに行って、新しい設備だと思って興奮して母に自慢すると、母は感心したふりをしてくれましたが、実は戦前にはエスカレーターもあったのだと、後で知りました。
そう考えると、戦前戦中に戻りたくない、今は民主主義の世の中だと云々していた大人たちも、戦前の全てを否定していたとは限りませんね。

>       高校時代、家に着くのが5時5分よりも前なのか?

ポッポちゃんの時間は小学時代です。そろばん学校へ出かける時間でしたから、4年生くらいかな? まあ、正確なことは、お得意のgoogleでお調べください。
赤胴鈴の助の歌詞が出たとて、引っ張り方や刻み方まで載っていなかったのですね。私のは、聴いていなかった人が、書ける書き方ではないはずですがね。




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