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テロを根絶するためには・・・・

10ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/09/22(水) 12:20
>>9
何事にも「許容できることの多寡」はありますから、イカフライ女史の回答はよくわかります。
そして、問題はそこにあるとも思います。

「それでは、テロ(ことに無差別テロ)という方法は、どの程度悲惨な抑圧を受けている場合に許されるのか?(そもそも、許されるのか?)」
何事も、基準や許容範囲を示すというのは難しいことと思いますが、その許容範囲に対する「我慢の限度」が、それを覆すための方法の成否の基準にもなっているように思われます。

二次大戦以前の欧米列強による植民地経営が、差別と抑圧と搾取の上に成り立っており、当時はそうした抑圧は悪ではなかった(人権という意識が生まれていなかったわけですから、悪という認識もなかった)というのは致し方ないとして、では現在も同じように「差別意識と搾取による抑圧的支配」というのは通用するものでしょうか?
二次大戦以後、それが通用しないようになったことによって、かつての植民地が次々に旧主国から独立し、国連加盟国となっていったのでは。(そして、国連は国家間の対立の仲介だけでなく、国の独立の援助や人権問題などについても機能するよう期待されているわけですが)

それを踏まえると、仮に旧主国による再支配があった場合に、かつてのような抑圧的な搾取をしたら、旧主国(というか新たな支配国)が国際的に非難される、という環境はある程度育っているわけで、二次大戦以前のような「強国による抑圧的差別」がまかり通るとは考えにくいように思います。
それを配慮してでも「それでも、武装勢力同士が内戦に明け暮れるよりは、かつての旧主国が再支配したほうが、治安は保たれるのではないいか」というのが、所謂新帝国主義という考え方の根幹を成しているのかな、とも思います。
すべてが善意からだけ出た考えではないのでしょうけれども、アフガンを見ていると一理あるなと思ったりもしますね。(アフガンの旧主国はイギリス)


一方で、そうした問題に「その地域に住まない人間がクチバシを突っ込むべきことかどうか?」という懸念もあります。
当事国、当事者が考えるべき問題で、余計なお節介はすべきではないだろう、というような。
でも、当事国、当事者なんか無関係に、「交渉相手から譲歩を引き出すために、無関係の女子供、民間人、外国人をテロの対象にする」というのが最近の流行なんですよね。しかも効果がある。
そう考えれば、「当事者じゃないから無関係」とは言ってもいられないのが現状なわけで。
その場合に、

1)一応の統治体制を作っている政府側
2)体制破壊後の統治体制を造り得るかどうか不明な点もある反体制側→かつてならゲリラ、今ならテロリスト

という選択肢が生まれます。
レジュームチェンジの必要がある(抑圧をする者が政府側であるという場合)は、アフガンやイラクのように「他国の戦力を引き込んでの戦争」が行われ、レジュームチェンジが行われるでしょう。
一昔前(冷戦時代)なら「共産主義国の反体制勢力はアメリカが資本主義国の反体制勢力はソ連が」それぞれ支援していたと思いますが、現在はそういうスタイルも変わってきたわけで。

話が散漫になってしまいましたので一度風呂敷を畳みますが、

・抑圧を解決するための方法としてテロ(無差別テロ)は許されるのか?
・その方法としてテロ(無差別テロ)が許されるとしたら、許容範囲(対象の、または実行が許される条件)は?
・抑圧を解決するための方法としてあらゆるテロ(無差別テロ)が許されないとしたら、それに代わる効率のいい目的達成のための戦術/手段はあるか?

というところに話が戻っていきます。


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