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万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る

1中葉:2004/06/15(火) 12:18
朝日新聞6月11日付けによれば、5月31日に神田愛知県知事他が
北京で中国側関係者にご挨拶した際、昨年12月にBIE(博覧会
国際事務局)議長に就任した呉建民氏(前在仏中国大使、中国
外交学院院長)は「大阪万博以降、低調傾向にある万博運動を
盛り返したい。21世紀以降の紛争解決の糸口、新しいコミュニ
ケーションの方策、マルチラテラリズム(多国間主義)の観点
からも日本の努力を期待し、BIEも愛知万博に協力を惜しまな
い」と語ったとのことです。

2005愛・地球博では、このような国際的、歴史的な期待に対応
し、地球フォーラム・シンポジウム「地球に生きるものの使命」
http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=23
その他、多種多様な企画・準備とともに、万博後の恒久的な
体制づくりも進めています。

しかし、まだまだ不十分です。
皆さんのご支援をよろしくお願いします。

2緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/15(火) 13:59
>1
あのぬいぐるみじゃぁねぇ・・・(笑)

てな冗談わおいておいて、物売りかえ?

3中葉:2004/06/15(火) 14:22
アハハ、

今度はボランティアですから、只で善意の押し売りです。

4中葉:2004/06/17(木) 23:46
それにしても、呉建民氏(前在仏中国大使、中国外交学院院長)は何を考えているんだろう?

21世紀以降の紛争解決の糸口
新しいコミュニケーションの方策
マルチラテラリズム(多国間主義)
・・・・・
の観点からも日本の努力を期待
BIEも愛知万博に協力を惜しまない

とは何を言わんとしているのだろう??

考えれば考えるほど奇々怪々!

5緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/18(金) 08:38
>4
ほれ、EIとかいう統合ソフトの売り出しのことじゃぁないの?(笑)
<エクセルとパワポとワードを一体化させたよーな、あれだよ。

まあ、万博なんぞ「物売りの場の提供」だからねぇ。

6中葉:2004/06/18(金) 18:49
私は万博大嫌い人間で、行ったことないから知りませんでしたが、

そうですか?今までは「物売りの場の提供」だったんですか。

その固定観念から見たら、万博は時代遅れで意味ない、という意見が多いのも当然ですね。

私は、BIE他の協力も得ながら、21世紀以降の紛争解決の糸口、新しいコミュニケーションの方策、マルチラテラリズム(多国間主義)の観点からも期待される日本の努力を提供するべく、準備をしているところです。

7緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/18(金) 19:29
>6
ほれ、万博ちうたら、「万国博覧会」ちうてねぇ。
「うちわ、こんな技術もっとりまふ!んで、こんな製品作れまふよぉ」
ちうのが、ことの起こりだからねぇ。

ちなみに、明治時代にゃ「内国博覧会」ちうのもあってのぉ、国内各地の
特産品を展示しとったが、あっちうまにやらんくなったわな(笑)

8ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/18(金) 23:13
>>7
バブルの頃にも流行ってましたよね。国内万博って(笑)
毎年2〜3箇所でやってたような。

大阪万博、神戸ポートピア、宇宙博は行きましたねー。
海洋博は遠くて行けず(沖縄は離島だから)、つくば科学博はいろいろあって行けず。
万博の持っていた意味というのは、その後「見本市」という専門化したものに受け継がれていくわけですね。
パビリオンは国が出すんじゃなくて、それぞれの技術を持っている企業が出すようになった。
業種によって、モーターショー、モーターサイクルショー、おもちゃショー、食品加工機械見本市、ゲームショー他多数になった。
コミックマーケットも一種の「専門化した見本市」かもしれません(笑)。
で、初期の万博は、それらを「企業出展」よりも「国としての出展」という形でやってた、と。

ちなみに昭和・平成の所謂バブル期の万博は、すでに専門化した見本市と並存してたせいもあってか、国単位で技術をひけらかす習慣が消えていたせいか、さらには「新しい技術」がない国まで「万国博」として参加するようになったせいか、「お国自慢物産展」に堕していたのは事実。
おもしろかったのはつくば博くらいまででしょう。
イカフライ女史あたりだったら万博も記憶にしっかり残ってるんじゃないですか? 私は幼少のみぎりでしたが(笑)、けっこうおもしろかったですよ。

それ以後の時代の万博しか知らない人は、ちょっとお気の毒でした。

また、昔は万博くらいしか「国際的に集まって民間が場を持つ機会」がなかったというのもあると思いますが、現在では「NGO的国際会議」もいっぱいあるわけで。
その意味では、万博でそれをやるのはアドバルーン的な意味しかないんじゃないですか?

9緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/19(土) 09:54
>8
お年がばれる(笑)

バブル直前〜バブル崩壊までで、かなり食傷気味になってしまいましたからねぇ。
<そのての内国博覧会わ

まあ、各専門分野ごとに行われる「見本市」わ、内容が濃いんでそれなりの人が行くと
ためになるからええんですがね。

ところで、横道知事がやった「食の祭典」のジェノスカード(未使用・1000円)が
引き出しの中にあるんですが、ヤフーで売れますかねぇ(笑)

今やるなら「職の祭典」かぁ〜?

10イカフライ:2004/06/19(土) 10:11
>>8

万博、というと、大阪万博しか頭に浮かばない世代です(^^ゞ
「1970年のこんにちわ-」ですね。
 親に行きたい、連れてって、とねだったもんですが「あれは大阪の子しかいけないの」とか言われまして。
 で、夏休み明けたらいってきた子がクラスに一杯(笑)
 旅費が無いなら無いっていえば良いのに。こういうすぐバレるウソをつくから、子供は親に対する信頼感を失うんだ(笑)。

 うちの亭主は行ったそうです。今でも、当時の写真を見せびらかして自慢される。

 どうも、大阪万博の印象が強いせいか、その後の博覧会はあまり興味がありませんでした。
(ポートピアもつくば博も海洋博も)。70年代は、日本が良くも悪くも元気だった時代だ。

 今、博覧会をやるのなら、なにか新しい形と言うか、吸引力がないとダメでしょうね。
 その「新しい」がなにか、解りませんが(ネット博なら良いか?というと、あれも外した様で)

11緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/19(土) 14:15
>10
いあ、やはり「職の祭典」をば(笑)

12中葉:2004/06/20(日) 22:47
>>10 今、博覧会をやるのなら、なにか新しい形と言うか、吸引力がないとダメでしょうね。その「新しい」がなにか、解りませんが

全くおっしゃる通りです。

私が興味を持ち、支援している市民プロジェクト、
地球フォーラム・シンポジウム「地球に生きるものの使命」では、
http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=23

平和の尊さに共感し、その構築に積極的に参加の意思のある市民、NGO、NPO等、及び紛争地の市民や平和維持・難民救済活動等に関っている市民、NGO、NPO等を募集し、

近代技術文明が環境汚染や資源枯渇、紛争や文明間の対立を生み出し、憎しみの連鎖を引き起こしている現状に鑑み、これらを解決するため、様々な智を結集し、
人と人が宥和し合う地球平和の智恵をみつけたいとの想いをベースに、平和の構築を目指し、平和の構築を目指し、取り組むべき課題を明らかにし、そのメッセージを世界に発信しようとしています。

13ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/21(月) 00:56
中葉さんの年齢や趣向がわからないので参考意見として聞き流してください。
過去の小説、コミック、映画などでは「1960年代以前」の悪役はナチスドイツかその残党でした。
「1960〜1970年代」の悪役は「旧ソ連」でした。
「1970〜1980年代」の悪役は「過激派や中東のテロリスト」でした。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ではリビアのテロリストっていうのが出てきましたよね。
「1990年代」の悪役はズバリ、「フセインまたは中東のテロリスト」。映画「ホットショット2」ではモロにフセインがラスボスでした。

で、1990年代から2000年代に入ってきてからは、急速に「環境保護団体やNGOの類が、目標達成のためにテロリストになる」という描き方をする作品が増えてきはじめました。
コミック・アニメはその傾向が特に顕著ですね。
もちろん、「真の敵は軍産複合体か大国の陰謀」というところに落としてはいますが、「純粋すぎる環境保護団体が目的のために手段を選ばなくなることで、テロリストと何ら変わらないことを躊躇わずにするようになる」という描き方は、決して珍しいものではなくなりました。
よくあるのが「月面開発反対のため、宇宙でテロを行う」とか、そういう類の設定。これは、最近だとコミック「プラネテス」の中盤の敵がこんなタイプの環境テロリストでした。

まじめ、かつ善良な正義感から平和を見つけよう、という中葉さんが危惧しておられるテーマを煮詰めていった結果、やはり「技術の放棄」「開発の放棄」「資源開発の阻止」を強硬的にするしか人類を目覚めさせる方法はないのだ、という悲痛な選択肢を選び、自らの手を血に染める原理主義的な存在として、「環境テロリスト」が俄然注目を集めているようです。
一昔前なら「宗教的な殉教者」として描かれるところだったと思いますし、実際そうした「生命の尊さを共感し、地球を救え」的環境NGOの掛け声は宗教に通じるものがあると思います。
ただ、直接的に宗教(個人の意志をスローガンで統合していく)に反抗するのではなく、形を変えた宗教的なものの暴走に対する警告という形で、環境テロリストが悪役にされてつつあるのかな、とも思いました。

平和、環境保護が「欲を制限し、我慢すること」で成立するものだとすれば、その行為も気持ちも理解はできますが、欲を追求することで拡大してきた人間の営みは、「殻の中で分け合うこと」ではなく「殻の外に飛び立っていくこと」でしか維持していけないのではないか、という考えの作家が多いことから見ても、「我慢しましょう」という禁欲的スローガンの活動にはいささか共感を感じにくく思います。

ところで、どうしてそうした「運動に参加の意思がある○○○」と続くときに、最大単位を「市民、NGO、NPO」という単位で数えるのでしょうか?
「国民、民族」や「町民、村民」じゃだめなのでしょうか? 意図的に「国」という単位を無視しているか、無効化しようとする意識があるのでしょうか?
人類が仮に「世界政府」を持つことができるとしたら、段階的な「上部行政府の統合」だと思うんですが(欧州各国がEUになったように)。
欧州各国の人々は、「市民」としてEUに参加しているわけではなく、あくまでそれぞれの国民としてEUに参加するかどうかの意思確認をした上で参加しているわけですよね。
それと同様に、「世界共通の○○○」を求めることがあるとしたら、それは「市民や個人が個別に参加」ではなく、あくまで「国民として国に意志を委ねて」その上で、になるのでは?
そう考えると、「国という現在考えられるもっとも上層に近い枠組み」とそこへの所属を意図して軽視するのはなぜなのかが、以前から不思議でならなかったわけですが、もし中葉さんがこれに何らかの明確なご意見をお持ちでしたらお聞かせ頂ければと思います。


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