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誹謗中傷って、何?
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今まで討議してきて、誹謗中傷は文化を共有しないために起こると言えそうに思います。
自分が相手の文化を許容していないことに気付くことは、とても難しいのだろうと思いました。
同じ日本語文化圏にながらの、異文化コミュニケーションの難しさですね(笑)
ヤスツさんは、少数者が多数の中に入っていったときには、多数の文化に従う方が、摩擦が少ないといいました。
それは、全く正しいと思います。
しかし、しかしです。
左利きの人が自分に便利なように設定して住んでいる家に、行ったと想像してみてください。
まずドアノブが、右端についています。引き戸なら、右端につけられた窪みに指をかけて、左側に引きます。家中の家具がそういう作りになっていますし、包丁・鋏はもちろんのこと、あらゆる道具が、右手では使えません。これは相当なストレスになります。
お金さえ余分に出せば、個人の家では、左利き用の住環境を整えられます。
しかし、公共の施設ではなかなかそうは行きませんし、実際、左利きの人は幼い時から矯正させられることが多いです。
少数者が多数の文化に従っているわけです。
矯正が正しいとか間違っているとかは次の問題として、私たちは、左利きの人だけに、一方的な不自由をかけているという事実があります。
多数者は、そのことを自覚する必要だけはあると思います。
左利きの中でも、簡単に矯正できる人と、どうにも生き苦しい思いをする人がいるでしょう。
どうにも矯正が出来ずストレスが鬱積する人も居るでしょう。
そういう人の存在を、切り捨ててはいけないと思うのです。
話は、左利きに例えたのですが、
あらゆるマイノリティーの文化について、似たようなストレスの存在があると思うのです。
戦後、国民全体を覆った厭戦気分や反軍国主義や平和希求の中で、いわゆる右翼と呼ばれる人にストレスをかけたのではないかとも、思いが至ります。
なにしろ、強制と束縛の中で育った人たちが、単に民主主義の衣に着替えただけなのですから、戦前とは逆に、右翼的な人が「非国民」に近いレッテルを貼られただろうことは、想像に難くありません。
どんな形であれ、マイノリティーの文化を持つ人が、マジョリティーの中で窒息する社会は、いい民主主義社会であるとはいえないと思います。
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