レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
誹謗中傷って、何?
-
>>699 大神 さん
> ですが今回の場合は稚拙な資料から書いて、捏造写真をさらに改竄して
しかも百人斬りをスポーツのように書いている点、そしてそれが現在訴訟中であることから右翼や一部県議会議員以外にもネットでの批判が続出していることから出版社は引っ込めたのではないでしょうか。
ネットでの批判など問題外です。抗議に対してすら、結構粘っていたぐらいですから。
「捏造写真をさらに改竄して」という表現もおかしいですね。
普通、参考文献をもとにして、作家オリジナルなものを創り出すのが小説ですが、
マンガも同じことだと思いますが?
大神さんはこのマンガを読まれたのですか?
100人切り事件の登場人物を特定して書いていますか? このようなことが起こりがちだった当事の日本軍ではあったはずですよ。
そうでなければ、賞賛するごとき書き方をした新聞記事、当局の検閲で日の目を見なかったはずです。
百人切り問題も、南京虐殺の問題と同じで、人数がどのくらいであるかどうかだけが問題であって、起こったことに違いはありません。
100人を実際に切れたかどうかではなく、100人切り競争というような、ゲーム的な言辞で、殺したかどうかが問題です。 (特にマンガはそういうものでしょう。)
大神さんは、ゲーム的な感覚では一人も殺さなかったと断言しますか?
その根拠は何ですか?
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/mochiduki.htm
※このあたりから野田、向井両少尉の百人斬りが始るのである。野田少尉は見習士官として第11中隊に赴任し我々の教官であった。少尉に任官し大隊副官として、行軍中は馬にまたがり、配下中隊の命令伝達に奔走していた。
この人が百人斬りの勇士とさわがれ、内地の新聞、ラジオニュースで賞賛され一躍有名になった人である。
野田少尉の父親の証言も、参考になります。
※ 野田少尉の父親 野田伊勢熊氏が1967年6月、陸軍士官学校49期生会が発行した「鎮魂 第二集」に寄稿した文より
愚息毅は支那事変当時少尉時代京都師団から出征し、南京城入城前に百人斬り競争を同連隊の向井少尉となし、其の活動状況を毎日新聞に盛んに書きたて中央の雑誌等にも書いて国民銃後の志気を鼓舞しました。
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板