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誹謗中傷って、何?

265ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/10/06(水) 06:06
>>263

>民族衣装でマンハッタンを歩くことは、許されてしかるべきだと思います

「許さない」と言っているわけではありません。
マンハッタンが、多民族の民族文化を受け入れるから、どんな衣装を着ていてもかまわない、という街なら、好きな格好をすればよい。受け入れられなかったとしても、主義主張としてそういう格好をしたいならすればよいのです。
してはいけない、ということではありません。
ただ、「ニューヨークは寒い。だから腰蓑では冬は過ごせない。ニューヨークの裏道にはガラス片だってある。だから裸足は危険である」「だからシャツと靴がニューヨークでは必要だと考える人が多いので、そういうスタイルが合理的だ」
ということです。

× 多数派と同じ格好をしなければいけない
○ 多数派が同じ格好をしているのには根拠と合理性がある。そのスタイルを受け入れたほうが、その場所では利益の方が多い、と考える人が多数いれば、それが主流の意見になる

だからといって、「そう言う格好をしてはいけない」ということを言っているわけでも、「多数派におもねれ」と言っているわけでもないのです。
アフリカの奥地で暮らす人でも最近はシャツを着ています。
それは、西欧文化の強者の法則に支配されているからというだけではありません。
民族衣装よりも丈夫であったり、日常の着脱が簡単であったりという合理性が認められたから彼らは腰蓑ではなくシャツを着ます。
砂漠の過ごし方にしたって同様です。かつては裸足であったかもしれないし、民族的な靴を履いていたかもしれない。
そこに、西洋的なブーツが入り込み定着したのは、それが「便利で合理的」だからでしょう。
便利なもの合理的なものというのは、別に先着のものを駆逐するためにあるわけではなく、便利で合理的だから選ばれていくということでしょう?

また、「現実の前に法則を作る」とか「弱者は法則に縛られる」とか「法は支配者によるお触れ」だとか、それをもって、
「風土に根ざした合理性が選ばれることは自然であり、異物として新しい風土に入ったものは、その風土で先行している文化の「合理性」を尊重した方が、相互不理解とアイデンティティへの固執による侮蔑感情を喚起しないで済むのでは?」
という意見を、枝葉末節でひっくり返そうという近視眼的な反論にしかなっていないと思います。

だいたい、私は「必ずしもその法則を守れ、多数に跪け」と言っているわけじゃないんですよ。
どうも吉岡さんは枝葉末節にばかり目を囚われて、自ら脱線していくのがお好きなようですが、少しは本題に戻りましょうよ。
そうやって、脱線して、自分の目の届く範囲でのミクロな世界で勝利を収めることに固執して、相手が付き合いきれなくなって議論を放棄すると「自分は正しいから勝ち、相手は途中で逃げたから間違い」という勝利宣言をしてきたのではないでしょうね?
まさかとは思いますが、そうした経験で「自分の正しさ」と「相手への侮蔑」をあなたが強めてきたのだとしたら、それはあまりにも悲しいとしか言えません。




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