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誹謗中傷って、何?
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で、この説明から、「無意識の侮蔑」というのは、共同体が本来共有している伝統や慣習などの情報を、共有していない異分子/マレビトが共同体に新たに参加することによって起こると説明できるかと思います。
「ヨソモノは、村の礼儀を知らない」と置き換えてもいいですし、「転校生は変な方言を使う」でもいいでしょう。差別/侮蔑というのは、習慣の違いを拒絶することに端を発している、ということが理解できればどんな喩えでもけっこうです。
この、「文化、習慣の違いを容認できず、拒絶してしまう」というのが「差別(これは区別とも見分けが付きにくいほう)」それを、相手を侮る(自分と自分の共同体を高める)ことに転化させたのが、「侮蔑」。
侮蔑の廃絶というものは、「違いを容認する(必ずしも是正しなくてもいいが、拒絶しない)」ということから可能かもしれません。
では、「持ち込まれた新しい習慣」と「元々その地方にあった習慣」の、どちらが優れている、劣っている、どちらを採用しどちらを残す、という話になると、途端に新たな対立の火種になってしまいます。
「砂漠でターバンをする」という文化の土地に背広の人が入り込んだら、「砂漠でターバンが進化した合理性」を考慮して、背広を脱いでターバンを巻くべきです。
逆に腰蓑に裸足の文化の人が摩天楼のそびえ立つ都市に入り込んだら、「都市で靴を履き服を着る習慣が進化した合理性」を考慮して、靴を履き、シャツを着るべきでしょう。
共同体における多数意見(多数派)というのは、その共同体にとって合理的であるからこそ多くの支持を得、伝統・習慣として定着したものであるわけですから、その伝統・習慣が定着している場所にきたなら、その文化を尊重すべきでしょう。
無意識の侮蔑をやらかしてしまった人は、「文化の相違」について無知だったということであり、その土地がどちらの文化(「ぼぼ」を容認するか、「ぼぼ」を知らないか)を見極めて、多数派に付けば「情報の行き違い」からくる差別やそこから発生する侮蔑は避けられるのではないかと思います。
もちろん、100%の方法とは思いませんが、一例として。
その意味で、多数派は少数派を拒絶はしないけれども、「多数派は合理性の元に成立していること」を親切に説明する努力をすべきだし、少数派は「自己流」への固執も重要かもしれませんけれども、新しい共同体/地方に身を置くなら、その共同体/地方の習慣を尊重し、倣っていくほうが「合理的だ」ということを知るべきでしょう。
「誹謗中傷」の広義の中の、「無意識の侮蔑」という狭いテーマについては、私はそのように考えております。
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