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誹謗中傷って、何?
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>>149-150
ご回答ありがとうございます。
ある程度一致している部分もあるということで了解しました。
これで「全く予想できない問題は除外する」という合意が取れたと認識しますが、それでよろしいでしょうか?
さて、それでは「ある程度予想ができたはずの問題」といううろちい氏の想定しているケースについてですが、これは「どの程度の問題ならある程度予想ができた【はず】」なのかを定義するのが難しいのではないかと思います。
つまり、置かれている状況、施された教育、情報入手手段の広さ狭さは個人によってまったく異なるわけですから、同一の問題に対して「まったく予想できない」という基準は大きく異なります。
年齢70歳、いい大人。だけど、ほとんど一人暮らしに近く、家族はおらず、近所付き合いもない。新聞は取ってない、読んでない、ネットもない。テレビはバラエティと天気予報しか見ない。
私の家の周囲には↑こういう条件のお年寄りが割と多く生息(^^;)しているのですが、こうした人々の場合は「まったく予想できない」ということが広がりますが、その場合でも「方法があったのにその手段を講じなかったから」ということになるのでしょうか?
「テレビを見なかった、新聞を読まなかった罪」というものの適用対象になるのでしょうか?
「問題の可能性が予想できる問題」というのは、何らかの形ですでに問題の存在/萌芽を知った後であると思います。知っていなければ、それが問題になるということは予見できないでしょう。
「屋内でタバコを吸うと、子供に副流煙による煙害があるかもしれない。飼っている動物が吸い殻を口にしてしまうかもしれない(鳥がついばむとか)」どちらも想像の範囲内でしょうか。
でもそれは、「タバコは身体に悪い」「副流煙イクナイ(・A・)!!」「吸い殻は毒の塊」という認識があれば成立しますが、そういう認識がなかった時代、なかった人にとっては、可能性すら知らない事柄ということになってしまいます。
それを知っている人は、逆に注意するでしょうけれども。
これは、「可能性を予想できる問題」というものも、個人の能力や条件、環境に大きく左右されて変動してしまうということを示す一例です。
しかしそうした場合に、「可能性を予見できたはずだ」という一言を持って可能性を予見できなかった人を指弾してもよいものなんでしょうか?
可能性を予見できた人は、たまたまそれについての知識があったから予見できたのであって、可能性を予見できなかった人はそれについての知識がなかった(みのさんの番組を見てなかったとかですね)ということなわけですが、それは可能性を予見できなかった側は、「努力不足」として非難されることになるんでしょうか?
というわけで、
「元々知る機会がなかった問題は予見できないし、そうした問題を知らされていないうちは責任(原状回復の義務)を負う必然はない」
「問題を知らされた後、それが問題かどうかを判断するには、問題かどうかを調べる必要がある」
「自分が知る(判断する)以前に起きた問題については、原状回復の義務は生じない」
「自分が知った(判断した)後にも継続する問題については、原状回復の義務は【それぞれの個人が判断する】べきである」
「自分が知った後であっても、自分に影響が少ないと判断できるならば、それは無視しても問題ない。以後、その判断によって何らかの不利益が生じた場合、不利益・損害については、「無視」という判断を下した者が引き受けるべきだ」
といったところでいかがでしょうか。
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