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テロ対策

382ヤッス:2004/05/06(木) 23:23
>>379
で、それはウェーバーの何頁に載っているんだ?(w

・法に触れなければ何をしてもいい
・または法に触れないことについては責められる必然はない
・法にないことは道徳に委ねる
・道徳は「個人の内面が決める」ものであって、それらを共通化した「公衆道徳」に
 ついて考慮するのは、市民(個人)が未発達な社会である

ということだな?
しかし、道徳(個人の内面)に全てを委任すると、共同体の中での他者と意識の共
通化が完全にはできないから、「公衆道徳」という次段階が、さらにそれを明文化
した「法」があるわけだ。
が、

・法に書かれていないが、道徳的でないこと(または言われるまでもないこと)はす
 るべきではない(法ではないから罰則規定はない)
・法で禁止されていることではなく、道徳的に制限されていることについては法的根
 拠を持った罰則はないが、「公衆道徳の多数派の発言(や、行動)」による社会的
 な批判(時には社会的制裁)に晒される。
・法に規定がなくても、道徳的で制限が促されるものに違反した場合、法による制
 裁はないが、道徳による制裁は起こりうる。
・道徳による制裁は、法による制裁ではないので、執行者や量刑の判定はない。

ということだな?
つまり、法、公衆道徳、道徳(個人の内面)の順に降りてこなければならないところ
を、猫式だと「公衆道徳」というものがすっ飛ばされる、または「法に書かれていない
ことについては、他者を考慮する必要はなく個人の内面で処理される」という結論
になっているわけだな?


さて、キリスト教の話が出てきたのでちょっと。
魔女裁判は民衆による公衆道徳的制裁を、司法者が抑えきれず、道徳的な社会
制裁をなすがままにしてしまった例と言えるな。

キリスト教の隣人愛がなんだって?(w


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