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社会福祉と少子化問題

50イカフライ:2004/04/24(土) 11:39
>>48

家制度について。
>だいたい鎌倉時代〜戦国時代あたりから、このようなものが現れた様に思えます。
貴族の時代から武士の時代になった頃ですね。母系から父系へ、の移行でもあるでしょうか。
その前の時代は、男性が女性の元に通う「通い婚」が結婚の形態でした。通う相手は一人とは限らない、いろいろな女性の元に通って気を引きつけることが「色好み」と評価されました。
女性の側も通ってくる男性たちの中からより良い男をゲットしようとしたわけです。
これは売買春スレ向けの話題かもしれませんが、平安の頃は女性の貞操ってさほど重視されていたようには感じないんですよね、源氏物語なんか読んでも。
例えば源氏とスキャンダルをおこした朧月も後から結局天皇の元にいきました。あれって、「武家の娘、武家の妻」の感覚なら、「死を持って恥を償う」ではないですか?

で、江戸時代なんかは武士の世界では家制度は絶対だった、それは柏葉さんが言うように一族郎党を守る社会保証の役割ということもあったでしょうし、そもそも武士っていうのは戦闘集団ですから、身内以外は信用出来ない、いつ寝首をかかれるか解らない、ということが根本にはあるのかもしれません。
偉いお侍さんは側室を持ったりしましたが(将軍家には大奥もあったし)それは平安貴族のような色好みの風流ではなく、家の尊属のためでした。
女性に厳しい貞操がかされたのもそれゆえでしょう。DNA鑑定なんてなかった時代ですから、他の男の子供でも産んでしまったら、その家が乗っ取られるなんて危惧はあったわけです。

この家制度ですが、それが庶民にまで及んできたのは明治以降ではないでしょうか?
杉浦日向子さんの本でも読んだのですが、江戸の男性の半分は独身だった、とか、長屋のおかみさんが長屋中の男と寝ていたなんて話は良くあるとか。
農村でも夜這いの習慣がありましたね、あれは別に女性の寝込みを襲うレイプではなくて、家族も合意の上だったし、その中からより良い、まあこの場合、体力があるとかが基準かな?男を選んだわけです。
武家のような家制度が無かった庶民が変わりとしたのは地縁ですかしら、だから。
江戸のような都市なら「長屋」農村なら「村」。
この地縁を拡大したのが国家における相互補助の福祉の考えかな、とは思うんですが。どこぞの娘がててなし子を産んでも村の子として育てる、みたいな。
 とは言え、みんなが顔見知りだった村や長屋と違って国までいくと範囲が広すぎるのかも知れません。

 と、前置きが長くなりましたが。
>発想の転換

 これはね、今の一夫一妻制を変えるんですよ。
 ひとつは同性結婚を認める。養子の話が出ていますが、同性カップルの場合、今の医学では実子は出来ないわけです。
(バンコランとマライヒじゃなんだから、ってこのネタ解らなければスルーしてください)
 そうなれば子供が欲しければ養子を取るしかない。とは言え、同性愛者は人口の3%と言いますから、それほど大きな数字にはなりませんが。
 あともうひとつ。一夫多妻、一妻多夫を認める。つまり重婚ok。
 独身者が結婚しない理由はいい相手がいないから、というのが一番ですよね、それは独身者だけから選ぶからですよ。
 これで結婚率も上昇するかも?

 いかがでしょ?


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