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社会福祉と少子化問題
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:
ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2005/04/04(月) 15:14:15
出産年齢が高齢化している場合、祖父母の年齢も高くなっています。
が、出産年齢が若年齢の場合、祖父母はまだ「働き盛り」または「現役」くらいになります。
18〜22歳で出産したとして、親が同程度の年齢で出産をしていると、その時点での祖父母の年齢は36〜44歳、ということになります。
30代でおじいちゃん……怖い話です(^^;)でも、40代半ばくらいで祖父母になっている人は案外見かけますね。
この年齢のお婆ちゃんのメリットは、「家庭内に主婦が二人いるので、相互補完ができる」または、「祖母が現役主婦なので、それに育児を任せて、母親は仕事(労働)に復帰できる」という点でしょうか。
ただ、祖母に育児を押し付けて……という形になってしまうと、次の世代になったときに「育児経験のないお婆ちゃん」ができてしまいますので(実際、そうなってる家も出現しつつあります)、それはそれで問題の先送りにしかならないかもかも。
ともあれ、「妻と姑が二人がかりで育児」というのが、本来は理想なんですよね。
これがうまくいきにくいのは……
・核家族化が進んで、「家(建物)」を複数世代が共有するライフスタイルが寂れつつある(都会ほどそう)
・核家族化が進む最大の理由は、子供の就職先が実家の近くではない(親と同居しないのが前提になっている)
・子供の就職先が実家の近くにならない最大の理由は、子供が親の仕事を継がないから(職業選択の自由が核家族化を推し進めている?)
話が少し前後しますが、江戸時代はどうだったのか。だいたい人口は4000万人をピークとして3500〜4000万人くらいで推移していたと言われます。今の日本の1/3くらい。
食糧を自力生産してまかなえる人口はそんなもんであって、今の人口は明治以降に殖産興業(工業化)に励んだ結果と言われていますね。
で、江戸時代。
単純化すると、武士・町人(職人・商人)・農家(+漁師)になっていて、農業従事者が多数派でした。
農業は機械化されない場合、人手がモノを言うわけで、二人目三人目は家督を継がない場合でも労働力になり、運良く嫁をもらえた場合は分家となって「新田を開く」という開拓に進出。それでも基本的には仕事が同じですから、本家と一体化してはいました。
農家の二人目三人目で家督を継がない、しかも労働力としては余ってしまう場合は(多くはそう)、都会に流入して丁稚奉公に入り、町人(職人・商人)になったようです。
職人・商人の暮らしぶりというのが、今で言う「核家族」の原形なわけですが、その場合は長屋単位での「共同保育」が主流でした。手の空いてるおかみさんがまとめて面倒見たり、さらには寺子屋に幼年期から放り込むことで保育所代わりにしていたわけですね。(江戸期日本の識字率の高さは、そういうところにも起因しているそうです)
話がえらい脱線しましたが、
・親(親族)に保育支援を頼む=農村型の幼児共同保育
・寺子屋(保育園)に保育支援を頼む=都会型の幼児共同保育
というのは、少なくともこの300年くらいは変わってないみたいです。
ちなみに、都会の寺子屋では武士の子も町人の子も一緒に教えていたということで、この辺が後の松下村塾などに繋がっていくわけですね(笑)
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