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戦争と性−進駐軍慰安婦より

909中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/18(日) 11:14
フィリピンの事例

年齢層
年齢的には、十歳から三十歳まで分布している。とくに十代の若い女性が多い。

場所
日本兵に拉致された被害女性が連れ込まれる先はほとんど軍の駐屯所である。当時さまざまな建物が駐屯所として徴用されていた。証言に出てきた例としては、病院、小学校、教会、市庁舎、精米所、製氷工場、キャンディ工場、公営市場、写真館、住宅、公務員宿舎、たばこ乾燥倉庫などがあった。

駐屯地内に張られたテントに監禁される場合もあれば、ニッパハウス、竹小屋(カマリグ)に女性たちのみが集められ監禁される場合もあった。防空壕のトンネルとか地下の洞窟の例もあった。

状況
駐屯所に連行されるときからすでに数人から十人くらいのフィリピン女性といっしょだったケースが少なからずあるが、女性が一人で連行される場合でも駐屯所には複数のフィリピン女性がいた。

侵略軍に抵抗する抗日ゲリラを掃討すると称して、山中に逃げ込んでいた避難民のうち、何の根拠もなく怪しいと見なした住民を拉致・虐殺し、若い女性を駐屯所に連行して慰安行為=性的奉仕を行なっていた。

暴力性
被害者と軍とのあいだに民間業者などが介在する余地はまったくなかった。軍の移動中における偶然の遭遇、計画的と思われる女性の自宅への襲撃、作戦行動中の強制連行など、軍事力を背景にして有無をいわせず暴力的に女性を拉致している。

理由
日本軍は開戦初期のパナイ島攻略の際、イロイロのほかロハス市およびアンティケ州サンホセにもほとんど同時に上陸している。ところが、「正規」の「慰安所」はイロイロ市にしか設けられず、ロハス、アンティケ、イロイロ州郡部などに展開する諸部隊はそれぞれの駐屯地に自前の「慰安所」を設けた。


こうしたことを必然としたのは以下の理由によるものと思われる。すなわち日本軍が設置した「慰安所」制度は女性に対する軍事・経済を含めた体制的強制による継続的強姦の公然化であり、性差別・民族差別イデオロギーの公認にほかならなかった。当時の軍隊にとっては、「慰安所」が各地で部隊独自に女性を拉致・監禁する口実になった。たとえば、イロイロ市に「慰安所」が公設されて「慰安」が公認されている以上、それ以外の駐屯地でそれぞれの「才覚」による「慰安所」類似施設を設けてはいけない理由はないではないか、というわけである。

フィリピン「従軍慰安婦」補償請求裁判弁護団編
『フィリピンの日本軍「慰安婦」──性的暴力の被害者たち』
明石書店




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