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戦争と性−進駐軍慰安婦より
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このスレッドは、立てようか立てまいか、迷ったのですが。
別の掲示板でこんな話が出ました。
終戦直後(これは、日本の戦後です)米軍が日本に駐留し、その際に、治安悪化、特に、基地周辺での女性に対する性的暴力が頻発しました。
この対策として、当時のお偉いさん達が、そういう商売を生業としていた女性たちを集めて、基地周辺に米兵の為の慰安所を作りました。
それによって、といえるかどうかは、断言できませんが、一般女性への性暴力は減り、敗戦国としては、かなり治安は守られた。
また、それによって日本に流れたドルは、戦後復興の一助にもなったかもしれません。
マクロでみればそうかもしれませんが、実際にそれ(米軍相手の慰安婦)に従事した女性たちの中には、性病を煩ったり、望まぬ子供を身ごもった女性も少なくないでしょう。
数々の悲劇はあったと思います。
けれど、この方法によって、多くの女性が守られた、ということも事実でしょう。
こういった内容でした。
私は、当時としては、そうするしかなかったと思います。
軍隊において、特に戦時に於いて、こういった問題は、おこりがちです。
従軍慰安婦問題をそうですし、ベトナム戦争の時にも、米兵とベトナム女性との間での問題がありました。
戦争ではないですが、カンボジアでのPKOでも、同種の問題がありました。
戦争と性、答えの出る問題ではありませんが、これについて、考えたいと思います。
いろいろなご意見、お願いします。
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http://www.jca.ax.apc.org/JWRC/center/library/uesugi01.htm
たしかに、戦前、売春は公然と行われていた。これが公娼制度と呼ばれるものだ。しかし、そこにはいくつかの原則があったことが意外と知られていない。一つは、許可を受けた特定の場所と特定の人にしかこれが許されなかったことだ。つまり、誰でもどこでも自由に売春が公認されたというものでなく、貸座敷と呼ばれる定められた屋内で、警察署が所持する娼妓名簿に登録されている女性だけに許されたのである(娼妓取締規則二、八条)。もしそれに違反すれば、拘留または科料に処せられた(同一三条)。第二には、強制をともなう売春は、当然にも許されない建前だったことである。したがって、強制売春を排除するために、当事者本人が自ら警察署に出頭して娼妓名簿への登録を申請しなければならず、また娼妓をやめたいと本人が思うときは、口頭または書面で申し出ることを「何人と雖も妨害をなすことを得ず」(同六条)とされていた。
これらの規定は、彼女たちの人権を擁護しようとする当時の活発な廃娼運動に押されて制定されたものであり、内務大臣は右の娼妓取締規則を公布する際、その目的の一つが「娼妓を保護して体質に耐えざる苦行を為し、若しくは他人の虐待を受くるに至らざらしむる」(1900年内務省令第四四号)ことにあるとしたことからも明白である。したがって、もし「慰安婦」とされた女性が、どこかの警察に出頭して娼妓名簿に登録し、軍隊内にある「貸座敷」で売春していたというのであれば、藤岡氏などの言うように、それは公娼制度の枠内の出来事であり、当時、少なくとも国内法では違法とは言えなかった。しかし、だまして連れてこられたような女性が娼妓の申請をするはずがないばかりか、軍隊内に貸座敷があろうはずもない。貸座敷とは、「貸座敷、引手茶屋、娼妓取締規則」によって警察の許可を受けた建物であり、あえてさらに付言すれば、他に「芸娼妓口入業者取締規則」というものもあって、娼妓への紹介業者も取り締まられていたのである。だから、もしこれらの法令に基づいていない娼妓がいて、あるいは許可を得ていない貸座敷や斡旋業者があれば、それらは公娼でなく私娼、貸座敷でなく私娼窟であり、口入れ業者でなくヤミ・ブローカーなのであった。だとすれば、当時の日本軍は、自ら私娼窟をその体内に持ち、そこで法的に私娼に位置づけられる人々を監禁し、強姦したことになる。藤岡氏のたとえを借りるならば、文部省の建物に私娼窟や賭博場が開設されたに等しいのである。
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http://www.jca.ax.apc.org/JWRC/center/library/uesugi01.htm
このようなとき、軍や文部省に責任はないのであろうか。誰でも直感的にそうでないことに気づくはずだ。まず、慰安所の経営を藤岡氏は一律に「民間業者」としているが、正確には資料が少なくて不明だが、かなりの数が軍による直接経営であった。それ以外を民間業者が経営していたのである。だがその場合でも設置の要請は、あくまで軍が行なったものであり、業者は軍の意向を受けて慰安所を開設し、女性たちを集めた。したがって、その場合、最終責任者は軍であった(前掲吉見資料集「セレベス民生部第二復員班員復員に関する件報告」)。軍が経営を民間に委託する場合があったにすぎない。
こうして、慰安所の設置は、軍自らが行なうか、民間業者に設置を要請するとともに、その開設許可を軍が与えたのである。ならば軍は、警察つまり当時の内務省に対して貸座敷を開設する許可を自ら得るか、そのように業者を指導する義務があった。もし許可を得ることができなければ、あるいは許可を得ていない業者であれば、設置を中止し、業者への経営委託も取り消す必要があった。また、そこで「働く」女性や、彼女たちを斡旋する口入れ業者についても、警察に登録した公娼や正式な斡旋業者を使う必要があった。だが当然にも軍はそうしなかったし、指導した形跡などない。
もう一つの方法として、少なくとも公娼制度に抵触・矛盾しない「軍用娼妓取締規則」とか「軍用貸座敷規則」、「軍用口入業者取締規則」などの法律を新たにを陸海軍省が主導して作り、そのもとで慰安所を開設するという選択が有り得た(その場合、もともと民間人である「慰安婦」を、軍の要員とするか否かがあらためて問われることになる)。しかし、そのようなことが行なわれた形跡はない。
とすると軍は、当時の公娼制度に違反して慰安所を作り、犯罪を行ったことになる。「慰安所が公娼制度の延長」というのは真っ赤な嘘なのである。そして、これら軍政全般を処置する役割をもっていた陸海軍省と内閣は、違法なことが行われていることを知りながら(法律を無視、あるいは新しく作らなかったことだけでなく、強制連行などの違法行為の事実も数多くつかんでいた)、新しい法律を作ることなく放置し、その結果膨大な被害者を出したのであるから、やはり大きな責任を問われることになる。軍は女性たちを強制することで、強姦など様々な犯罪を犯した。これを「作為」の罪というならば、当時軍政全般をあずかっていた陸海軍省とそれを含む内閣全体(とりわけ内務・外務省)とその責任者は、公娼制度に従うか、あるいは公娼制に準拠する軍法などを新しく制定すべき義務がありながら、それを怠ったのである。これを「不作為」の罪という。HIVウィルスをばらまいて発病させたのはミドリ十字であるけれども、それを止める義務と権限を持っていたにもかかわらず放置した厚生省は不作為の罪を犯したのである。どちらも刑事罰が科せられる。
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