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戦争と性−進駐軍慰安婦より
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麻生徹男元軍医の証言を投稿します。
昭和十三年(1938年)のはじめごろ、当時、上海派遣軍の兵
站病院の外科病棟に勤務していた私へ軍特務部より呼び出しが来た。
何んでも婦人科医が必要であるとのことだった。
当時大場鎮の激戦の跡で、日夜戦傷患者の治療に忙殺されていた
時ではあるし、またそのころまでの常識として戦場と婦人科医との
関係など毛頭も連想がつかなかった。とりあえず同僚のもう一人の
婦人科医と出かけて行った。
命令にいわく「麻生軍医は近く開設せらるる陸軍娯楽所の為目下、
其美路沙芤小学校に待機中の婦女子百余名の身体検査を行う可し」と。
ただちに私たち一行、軍医、兵隊それに福民病院の看護婦二名を
加えた十一名にて出かけた。これが「日支事変」以後「大東亜戦」
を通じて、兵站司令部の仕事として慰安所管理の嚆矢となった。
当時、軍の輸送規定には兵隊、軍馬の項はあっても婦女子の項は
なかったので、はなはだ失礼なことには物資輸送の項に該当させた
りなど、今から考えると妙なことであった。
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玉の井銘酒屋組合長国井茂からの聞き書き及び麻生徹男元軍医の証言に
より、1937年秋頃から、日本軍は本腰を入れて慰安所設置に取りか
かっていったことが分かります。
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